プリンセス プリンセス
APR 5, 2024 Column

「昭和ポップス」と「J-POP」の分岐点となった曲「Diamonds」

 エモノートのプリンセス プリンセスの掲示板を読んでいたら、多くのファンの方がプリプリに様々な想いがあることを知り、どこか胸が熱くなった。「M」や「パパ」などは、女性ファンを中心に人気のある曲だということを改めて実感したし、「母がカラオケで必ず歌っていて自分も今では一緒に歌ってます!」や「平成初期生まれですが、大好きです」という若い世代の書き込みも多く見かけた。

 平成生まれと言えば、以前、『平成生まれによる昭和ポップス倶楽部』のイベントにゲストで呼んでいただき、トークをさせていただいたことがある。様々なテーマでトークセッションが繰り広げられたのだが、いくつかの質問の中に「「昭和ポップス」と「J-POP」の分岐点となった曲は何だと思いますか?」というものがあった。それまで、その“分岐点”について深く考えたことがなかったのだが、日本の音楽シーンの歴史を大きく変えたという意味でプリンセス プリンセスの「Diamonds」を挙げさせていただいた。この曲は1989年4月21日に発売された、プリンセス プリンセス7枚目のシングルで、ボーカルの奥居香が作曲、ギターの中山加奈子が作詞を手がけている。ソニーの「カセットテープ」CMソングとして起用された曲だ。

 1988年から1989年にかけて時代は昭和から平成に移り変わり、音楽フォーマットもレコードからCDに移行している。1988年2月21日に8cmシングルCDが登場し、音楽の聴き方が大きく変わることになるのだが、そんな時代の分岐点に発売された「Diamonds」は、平成初のミリオンセラーを記録した。この曲は様々な意味で、時代のターニング・ポイントになった1曲だと思っている。前年に発売された「GO AWAY BOY」「GET CRAZY!」で、プリプリの名が世に浸透してきた時期だったが、「Diamonds」の大ヒットで、誰もが知る国民的バンドになった。ヒットの背景には、空前のバンドブームがあったこと、メンバーが全員女性、つまり“ガールズバンド”というスタイルが話題になったことも大きいだろう。当時、プリプリに憧れてバンドを始めた方も多かったはずだ。世はバブル絶頂期で、どこか好景気に踊らされている世の中にこの「Diamonds」が流れ出し、人々は大切な何かに気付かされる瞬間があったと確信している。そうでなければこの曲はここまでたくさんの人々に支持されなかったはずだ。

ブラウン管じゃわからない景色が見たい

のフレーズには、「テレビや雑誌で知ったつもりにならないで、自分の目で見て心で感じようよ!」というさりげないメッセージが込められているし、

コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない

のフレーズも、当時のバブル経済に踊らされる世の中に対する、強烈なアンチテーゼを感じる。心の中の大切なものは金なんかじゃ譲れないよ、というメッセージは彼女たちが音楽を通じていちばん発信したかったテーマかもしれない。

 結果「Diamonds」は、1989年の年間チャートの1位を獲得したわけだが、2位はなんと彼女たちの「世界でいちばん熱い夏」がランクインしている。さらに、1989年のアルバム『LOVERS』から1993年の『BEE-BEEP』まで、アルバムが5作連続で1位を獲得し、1996年に解散するまでトップアーティストとして大活躍をした。つまり、この「Diamonds」はプリプリの大きな分岐点となった1曲ということになるだろう。

 この曲が発売されてからちょうど35年が経過しようとしている。この曲をリアルタイムで聴いてきた人たちも、もちろん35年分歳を重ねたわけだが、歳を重ねてもこの曲のイントロを聴くだけで、どこか心がザワザワするのではないだろうか。この35年で世の中は大きく変わり、音楽の聴き方も大きく変わった。もう手元にはあの8cmシングルはなくても、ストリーミングサービスで気軽に音楽が聴ける時代になった。今また、この曲を改めて聴いて、忘れかけていたあのワクワクした気持ちや、まだ心の中に埋もれている自分だけの「Diamonds」を掘り起こすきっかけになってくれたらとても嬉しい。

「Diamonds (ダイアモンド)」 作詞:中山 加奈子

音楽ライター 長井英治