浜田省吾

1952年生まれ、広島県出身。

1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。

デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。

代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。

現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。

みんなの思い出 楽曲一覧

ねこさん

「恋の西武新宿線」を聴くとよく行っていた吉祥寺FFビル辺りでのお喋りをいつも懐かしく思い出します。当時、大学は同じでも学部違いの皆でのグループ交際。女性は皆自宅組で中央線や西武新宿線、そして省吾さんファン。皆で居たくて取り留めのないお喋り、「省吾さん、絶対西武新宿線のどこかに住んでるんだよね!」「どこだろう?」「ばったり会っちゃったりしてぇ~」男性たちも興味津々で盛り上がり!今はFFビルも姿を変え空間もなくなってしまってますが、曲を聴くたびに当時塀にもたれて笑ったり、 お喋りしたりの楽しい情景が頭の中でスライドショーのようにまわります。

丘の上の自宅

この楽曲は、まだ省吾さんのファンでないころ、顔もシルエットも知らないころ、飲み屋さんのカラオケを歌ってるところを聴いて、いい歌だなぁと心に響くいた記憶があり、それ以降省吾さんの曲を聴きカラオケで歌うようになりました。また、彼女とドライブの時も良く聴いてました(*^^*)

タヌキ

18歳のとき、彼氏とのカラオケで歌い、盛り上がった。あの頃はお金なかったなぁと旦那になった彼氏と思い返してます。

漆黒のBMW

当時の彼女に振られた二ヶ月後、純白のメルセデスじゃないけど白い車の助手席に乗っている元カノを見た。なぜか負けた気がした。

明子

高校の入学式、廊下ですれ違った人に釘付けになった 夢の中でみていた、あこがれの野球少年そのものだったから 彼とは何と同じクラスだった! ある日、私の斜め後ろからメモが来た "浜田省吾って知ってる?" これが私が浜田省吾と出逢うきっかけとなった 友達のお姉さんがファンだったので、カセットテープを借り、誕生日には友達がサンドキャッスルのレコードをプレゼントしてくれた。 でも彼になかなか告白する事が出来ずにいた 高校球児だった彼の為に用意した千羽鶴も結局渡せないまま卒業式を迎えた それからしばらくして、彼が第一志望の大学を目指すため浪人することを知り、千羽鶴を渡す事にした その翌年無事に合格する事が出来たと、お礼の食事に誘われた 夢のような彼との時間の中、舞い上がり過ぎておどけ過ぎている自分が今でも恥ずかしい それからまた何年か経ち、久しぶりに会おうと彼から連絡が来た 彼が高校時代に慕っていた野球部の先輩が亡くなり身辺整理を自身もしていたら、私からの折鶴を見て、気持ちの後押しをして欲しくなったと言われた 弁護士をこのまま目指すかどうかを悩んでいたからのようだった 彼の人生に少しでも私の心からの声援が届いている瞬間があれば何より嬉しいと思った