ペンとパン

テレワーク中 個人スマホが鳴った。 画面には「実家」と「実家の電話番号」が表示されていた。 「?」 こんな日中に何か?悪い予感がした。 電話は実家の父からだった。予感は的中した。 「先日検査入院した母が、医療ミス原因で脳梗塞になり、危篤状態。医者からもう長くはないと言われている。今日 明日が峠。すぐ病院へ来いと」 会社に電話で事情を話、必要な物だけをカバンに詰めて家を飛び出た。 病院へ向かう電車の中、頭の中を色々な思いが脈絡無く、湧いては消えて行く。 そんな中、ふと、田家秀樹さん著「陽のあたる場所」のあるページを思い出した。 省吾さんが初めての沖縄でのコンサートの後、皆で酒を飲んで明け方ホテルに戻った。 省吾さんを待っていた現高橋社長から お母さんが脳梗塞で意識不明・危篤になった事を訊かされる。飛行機にのって母のもとに帰る(中略) 医師からこう言われる。無意識のまま亡くなるかもしれない。仮に治っても左半身は元に戻らないこともある。 「悲しみは雪のように」は、省吾さんがこの時お母さんが危篤になった時の事を歌ったのは有名。 その後、電車の中、頭の中を「悲しみは雪のように」がエンドレスで流れた。 病院へ駆けつけた後、家族から聞いた言葉は(省吾さんが医者から聞いた内容と)ほとんど同じだった。 もし意識が戻っても右半身は元に戻らない。左半身もマヒが残るので、車イスに乗った状態。食事が自分で食べられなくなるので、植物人間状態。。あとは時間の問題・・・ 生前の母は延命処置を望まなかった。母の希望を家族は受け入れた。自呼吸が止まれば終り・・・ ベットで、必死に自呼吸で生き続けようとする母を見て泣いた。 母の前でいつ泣いたことがあったのか、思い出せなかった。 母はそれから24時間後に息を引き取った。 [ 「悲しみは雪のように」は、「愛の世代の前に」のオリジナル曲の頃から好きな歌だった。 聴く度に「慈悲の歌」だと思って聞いていた 今回、自分が同じ状況になって 歌詞の本当の意味が分かった気がした。 悲しみは雪のように降ってきて、すべてを覆いつくしてしまう。 自分の肩に降り積もった、悲しみという名の雪はまだしばらく解けそうにもない。 今もふとした時に「悲しみは雪のように」が、頭の中を流れる。

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