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家路
還暦をきっかけに断捨離を始めた。 押し入れの奥に、手紙の束、昔、省吾さんフアンとやり取りした手紙の束を見つけた。 その中に、「僕の好きな歌」 -家路-という、友人主催の同人誌に寄稿した(と思われる)文章の下書きが出て来た。 文書の最後の日付は1989年5月11日とある。 拙い文書だが紹介しようと思う。(基本原文 ダブリの内容は略、少しわかり箇所は訂正済) (寄稿文) 僕の好きな曲のタイトルで いざ原稿を書こうと思う。結構難しいですね。あの歌も、この歌も好きだし、すべての歌にその時々思い出が入っているし(中略) 今回は「家路」について書こうと思う。 「家路」を聞いたのは、丁度高校の1年の冬 それまでの「君が人生の時」「MIND SCREEN」といった、少し甘口のアルバムから「ガラ」と変化した「HOME BOUND」の中に入っていた詩。 あの頃の省吾さんって「陽の当たる場所」にその頃の彼の状況が詳しく書かれてあるけど、「何も失う事がない」「もう何もいらない」「中途半端な名誉も成功もいらない」そんな思い切りの形として家路を歌っていると思う。 「どんなに遠くても辿り着いてみせる・・・(略)」自分の夢見た場所へ歩いて行こう。絶対に辿り着いてみせるんだ という、凄い力強い意志にあふれている 。今まで あまり物事を言い切らなかった彼が。 その頃の自分は、その年何とか高校受験に成功したものの 希望した学校とは違い、何ランク下の学校に何とか滑り込んだというのが実情だった。 毎日の学校生活が嫌で嫌で、夢や目標など無くて、ただ世間体の為だけに学校に通っていた。 「これからどこへ行くんだろう。どうなるのだろう」そんなこととか考えながら毎日を過ごしていた。 そんな時に励ましてくれたのがこの歌、詩で、特に「どんなに遠くても辿り着いて見せる」の歌詞だった。 好きな人が頑張ろうと言っている。自分も頑張ろうと思った。そんな曖昧な記憶がある。 ただ、本当の意味で(略)崩れそうな自分を支えてくれたのは、高校を卒業して希望の会社(定年まで勤め上げた会社)に入社した後だった。けれど配属は、自分の希望職種と180度反対の、「この部署だけには行きたくない」と思った部署へ配属させられた。 会社を何度辞めようと思ったし、実際他社へ試験受けに行ったし、「どうにでもなれ」と自暴自棄になった。そんな状況が、長く続いた。(中略) くじけそうになった時、全部放り投げだしてどこか遠くへ逃げ出そうと思った時、その一歩手前で、この詩の 「どんなに遠くても・・・」という歌詞を口ずさむことによって 自分を支えてくれたのがこの詩だった。 「HOME BOUND」のー家路―で、省吾さんが自分自身に言い聞かせ、励まし、それを踏み台にして 「愛の世代に前に」「PROMISED LAND」と続け、今の彼があの時希望していた場補へ到達しようとしているように、自分も「家路」を口ずさみながら 省吾さんと同じように自分の希望した場所へ一歩でも近づけるように努力しようと思う。 (略)色々な意味で、この「家路」が大好きです。 何より、イントロのピアノの音がとても綺麗で心にしみる。 (終) 詩の中で彼は「頑張れ」とは一言も言わない。 けれど、「家路」は自分にとっての人生の応援歌。魂を揺さぶってくれた詩。 今、寄稿文を読み返しても、-家路-は その時々の自分の背中を押し続くれた。 寄稿文を書いた36年後の今も、そのことは何一つ変わらない。
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還暦をきっかけに断捨離を始めた。 押し入れの奥に、手紙の束、昔、省吾さんフアンとやり取りした手紙の束を見つけた。 その中に、「僕の好きな歌」 -家路-という、友人主催の同人誌に寄稿した(と思われる)文章の下書きが出て来た。 文書の最後の日付は1989年5月11日とある。 拙い文書だが紹介しようと思う。(基本原文 ダブリの内容は略、少しわかり箇所は訂正済) (寄稿文) 僕の好きな曲のタイトルで いざ原稿を書こうと思う。結構難しいですね。あの歌も、この歌も好きだし、すべての歌にその時々思い出が入っているし(中略) 今回は「家路」について書こうと思う。 「家路」を聞いたのは、丁度高校の1年の冬 それまでの「君が人生の時」「MIND SCREEN」といった、少し甘口のアルバムから「ガラ」と変化した「HOME BOUND」の中に入っていた詩。 あの頃の省吾さんって「陽の当たる場所」にその頃の彼の状況が詳しく書かれてあるけど、「何も失う事がない」「もう何もいらない」「中途半端な名誉も成功もいらない」そんな思い切りの形として家路を歌っていると思う。 「どんなに遠くても辿り着いてみせる・・・(略)」自分の夢見た場所へ歩いて行こう。絶対に辿り着いてみせるんだ という、凄い力強い意志にあふれている 。今まで あまり物事を言い切らなかった彼が。 その頃の自分は、その年何とか高校受験に成功したものの 希望した学校とは違い、何ランク下の学校に何とか滑り込んだというのが実情だった。 毎日の学校生活が嫌で嫌で、夢や目標など無くて、ただ世間体の為だけに学校に通っていた。 「これからどこへ行くんだろう。どうなるのだろう」そんなこととか考えながら毎日を過ごしていた。 そんな時に励ましてくれたのがこの歌、詩で、特に「どんなに遠くても辿り着いて見せる」の歌詞だった。 好きな人が頑張ろうと言っている。自分も頑張ろうと思った。そんな曖昧な記憶がある。 ただ、本当の意味で(略)崩れそうな自分を支えてくれたのは、高校を卒業して希望の会社(定年まで勤め上げた会社)に入社した後だった。けれど配属は、自分の希望職種と180度反対の、「この部署だけには行きたくない」と思った部署へ配属させられた。 会社を何度辞めようと思ったし、実際他社へ試験受けに行ったし、「どうにでもなれ」と自暴自棄になった。そんな状況が、長く続いた。(中略) くじけそうになった時、全部放り投げだしてどこか遠くへ逃げ出そうと思った時、その一歩手前で、この詩の 「どんなに遠くても・・・」という歌詞を口ずさむことによって 自分を支えてくれたのがこの詩だった。 「HOME BOUND」のー家路―で、省吾さんが自分自身に言い聞かせ、励まし、それを踏み台にして 「愛の世代に前に」「PROMISED LAND」と続け、今の彼があの時希望していた場補へ到達しようとしているように、自分も「家路」を口ずさみながら 省吾さんと同じように自分の希望した場所へ一歩でも近づけるように努力しようと思う。 (略)色々な意味で、この「家路」が大好きです。 何より、イントロのピアノの音がとても綺麗で心にしみる。 (終) 詩の中で彼は「頑張れ」とは一言も言わない。 けれど、「家路」は自分にとっての人生の応援歌。魂を揺さぶってくれた詩。 今、寄稿文を読み返しても、-家路-は その時々の自分の背中を押し続くれた。 寄稿文を書いた36年後の今も、そのことは何一つ変わらない。