もうひとつの土曜日

浜田省吾

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紺田耕司

物語の一部が歌になっているのか? 泣けてくる。 歌で感動の涙が、我慢しても込み上げてくる。

小松正倫

もう40年もなるのかな。広島勤務の時に、会社が終わって夜呑みに行ったとき、スナックでカラオケで歌ったよ。 浜田さん、広島出身ということもあり、歌っていたなぁ。

Elle

1989年まで省吾さんのことは知りませんでした。「浜田省吾」の存在を知ったのは、当時好きになった人が周りの人から浜田省吾に似ていると言われていたからです。私は浜田省吾、誰?どんな人?でした。それで雑誌で調べて見ました。写真を見てカッコいい人だなと思いました。 確かにサングラスをしている彼は髪型も同じようで省吾さんに似ていました。 3ヶ月くらい一緒に遊んだでしょうか。その彼が東京を離れ、沖縄に行き就職してから、省吾さんが深く関わってきました。でもまだ、省吾さんの歌は聴いていませんでした。 当時お店のお客さんでアマチュアバンドをしている人から自作自演のカセットテープを貰いました。その中に「もうひとつの土曜日」が入っていました。 私は省吾さんの曲を知りませんから、その人が作った歌と思い、曲もいいし、声もいいと思ったものでした。後に、それが省吾さんの曲と知り、いいのは当たり前!と思うのです。 それが省吾さんとの出会いでした。 その人は今jajaというバンドでプロになりました。 そして私の片思いは続いています。おばあさんになっちゃう!でも、「誰がために鐘は鳴る」のアルバムを初めに、その時から今まで、ずっと省吾さんの歌と一緒でした。 浜田省吾さんを教えてくれた、今も沖縄にいるであろう彼に感謝です。

がんちゃん

褄と付き合って8年目、車の中で、この曲を聴きながら、指輪を渡してプロポーズした25年前、懐かしいな~

坂ちゃん

結婚前、妻と付き合っていた頃、30年ほど前になりますが、カラオケが流行っていた時代です。その当時、今もですか、十八番で歌っていました。妻は、私がカラオケで歌うのを聴いて初めてこの曲を知ったそうで、お気に入りの曲になり、私の影響も相まって浜田省吾と言うソングライターの曲をよく聴くようになりました。浜田省吾のイメージも良い方に変わったようでした。当時は、遠距離とは言えないかもしれませんが、車て片道1時間以上かけて会いに行っていました。若かったし、寝る時間を削れば少しでも一緒の時間が増えると思って、短時間睡眠も苦にならなかったかな。行き帰りの車中で、時には一人で、時には二人で浜省の曲を聴き、歌いながらハンドルを握っていました。ある日、お互いの仕事の都合で合えず、電話(携帯電話やスマホのない時代)で話していた時に、妻から「もう一つの土曜日」を歌って欲しいと言われ、必死で受話器を握りしめ、受話器越しに歌ったこともありました。 今では、結婚して30年が経とうとしています。二人の人生、常に浜省の曲が共にあります。コンサートもいつも二人で参加し、声と両手を上げ、非日常を満喫し、明日への糧をもらっています。子供たちも常にかかっている浜省ソングを聴いていますし、コンサートにも家族で参加し、良い思い出です。会社で、私と同年代の浜省ファンの方と、コンサート等の話題で盛り上がることもあるそうです。 どの曲が好きですかと問われても、一つに絞れませんが、妻との一番最初の思い出の曲として、エピソード投稿いたします。 私たちの思い出のシーンのBGMは、浜省ソングです。これからの人生も、浜省ソングと共に歩んで行くはずです。きっと多分絶対。