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収録されている「Home Bound」は、浜田省吾の80年10月に発売されたアルバム。「終りなき疾走」、「東京」、「丘の上の愛」他、全10曲収録。
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還暦をきっかけに断捨離を始めた。 押し入れの奥に、手紙の束、昔、省吾さんフアンとやり取りした手紙の束を見つけた。 その中に、「僕の好きな歌」 -家路-という、友人主催の同人誌に寄稿した(と思われる)文章の下書きが出て来た。 文書の最後の日付は1989年5月11日とある。 拙い文書だが紹介しようと思う。(基本原文 ダブリの内容は略、少しわかり箇所は訂正済) (寄稿文) 僕の好きな曲のタイトルで いざ原稿を書こうと思う。結構難しいですね。あの歌も、この歌も好きだし、すべての歌にその時々思い出が入っているし(中略) 今回は「家路」について書こうと思う。 「家路」を聞いたのは、丁度高校の1年の冬 それまでの「君が人生の時」「MIND SCREEN」といった、少し甘口のアルバムから「ガラ」と変化した「HOME BOUND」の中に入っていた詩。 あの頃の省吾さんって「陽の当たる場所」にその頃の彼の状況が詳しく書かれてあるけど、「何も失う事がない」「もう何もいらない」「中途半端な名誉も成功もいらない」そんな思い切りの形として家路を歌っていると思う。 「どんなに遠くても辿り着いてみせる・・・(略)」自分の夢見た場所へ歩いて行こう。絶対に辿り着いてみせるんだ という、凄い力強い意志にあふれている 。今まで あまり物事を言い切らなかった彼が。 その頃の自分は、その年何とか高校受験に成功したものの 希望した学校とは違い、何ランク下の学校に何とか滑り込んだというのが実情だった。 毎日の学校生活が嫌で嫌で、夢や目標など無くて、ただ世間体の為だけに学校に通っていた。 「これからどこへ行くんだろう。どうなるのだろう」そんなこととか考えながら毎日を過ごしていた。 そんな時に励ましてくれたのがこの歌、詩で、特に「どんなに遠くても辿り着いて見せる」の歌詞だった。 好きな人が頑張ろうと言っている。自分も頑張ろうと思った。そんな曖昧な記憶がある。 ただ、本当の意味で(略)崩れそうな自分を支えてくれたのは、高校を卒業して希望の会社(定年まで勤め上げた会社)に入社した後だった。けれど配属は、自分の希望職種と180度反対の、「この部署だけには行きたくない」と思った部署へ配属させられた。 会社を何度辞めようと思ったし、実際他社へ試験受けに行ったし、「どうにでもなれ」と自暴自棄になった。そんな状況が、長く続いた。(中略) くじけそうになった時、全部放り投げだしてどこか遠くへ逃げ出そうと思った時、その一歩手前で、この詩の 「どんなに遠くても・・・」という歌詞を口ずさむことによって 自分を支えてくれたのがこの詩だった。 「HOME BOUND」のー家路―で、省吾さんが自分自身に言い聞かせ、励まし、それを踏み台にして 「愛の世代に前に」「PROMISED LAND」と続け、今の彼があの時希望していた場補へ到達しようとしているように、自分も「家路」を口ずさみながら 省吾さんと同じように自分の希望した場所へ一歩でも近づけるように努力しようと思う。 (略)色々な意味で、この「家路」が大好きです。 何より、イントロのピアノの音がとても綺麗で心にしみる。 (終) 詩の中で彼は「頑張れ」とは一言も言わない。 けれど、「家路」は自分にとっての人生の応援歌。魂を揺さぶってくれた詩。 今、寄稿文を読み返しても、-家路-は その時々の自分の背中を押し続くれた。 寄稿文を書いた36年後の今も、そのことは何一つ変わらない。
家路
高校時代新聞部で部長をしていた。 卒業前に配られる三年生にとっての最終刊のコラムを任せられ、歌詞の一節である「人は去り、人は来る。でも気づけば、道標も無い道に一人」のフレーズを引用して出会い別れと自分自身を信じ続ける事をまとめた。 いつも顧問に添削されるが、その時は一文字も直されずに載せてもらった事を思い出す。 あれ以上の文章を今まで書けたことが無い。 一世一代のメッセージだった。
ホーム・バウンドに入っている家路と同じアレンジのバンドスコアもしくは、ピアノの楽譜を入手したいのですが、どなたかご存知でしょうか?
父親がずっと浜田省吾さんのことが好きで、お陰様で産まれる前からから浜田省吾さんが大好きな25歳のファンです。 「家路」の曲は、私にとって小さい頃からとても印象が深い曲です。 歌詞の「どんなに遠くても辿り着いてみせる」「空とこの道出会う場所へ」の意味が自分が少しずつ大人になるに連れて、変わってきてます。 小さい頃は、部活動や勉強などに打ち込んだり、綺麗な青空のイメージでしたが、今は少し大人になって、仕事でのやりがいだったり、様々な事で悩む事が多々ありますが、人生はまだまだ長いから、悩む事も含めて人生の旅を自分のペースで歩んでいこうと、捉えるようになりました。 また、バイクが趣味で以前父親と阿蘇山へツーリングした時に、果てしなく続く青い空と真っ直ぐな道を初めて見て、「家路」の曲が頭の中で流れました。 この先、30代、40代と歳を重ねるに連れて、「家路」の捉え方がきっと変わってくると思います。 人生をかけて、「家路」の曲を想いながら楽しんで行けたらなと願ってます。
JUKE BOXのBlu-rayをみて 病院勤務の夜勤のとき、産婦人科は 妊婦さんがいつ来るかわからず、でも、だいたい夜中に来て朝方生まれることが多く忙しく夜勤をしていたなーと そのうち、外が白白と明るくなり、金色なのかオレンジ色なのか朝日に眩しく照らされ、さあ、忙しい朝が来た そして、夜勤がもう少しで終わると大変だったけど、いい経験をさせてもらった思う現在です
還暦をきっかけに断捨離を始めた。 押し入れの奥に、手紙の束、昔、省吾さんフアンとやり取りした手紙の束を見つけた。 その中に、「僕の好きな歌」 -家路-という、友人主催の同人誌に寄稿した(と思われる)文章の下書きが出て来た。 文書の最後の日付は1989年5月11日とある。 拙い文書だが紹介しようと思う。(基本原文 ダブリの内容は略、少しわかり箇所は訂正済) (寄稿文) 僕の好きな曲のタイトルで いざ原稿を書こうと思う。結構難しいですね。あの歌も、この歌も好きだし、すべての歌にその時々思い出が入っているし(中略) 今回は「家路」について書こうと思う。 「家路」を聞いたのは、丁度高校の1年の冬 それまでの「君が人生の時」「MIND SCREEN」といった、少し甘口のアルバムから「ガラ」と変化した「HOME BOUND」の中に入っていた詩。 あの頃の省吾さんって「陽の当たる場所」にその頃の彼の状況が詳しく書かれてあるけど、「何も失う事がない」「もう何もいらない」「中途半端な名誉も成功もいらない」そんな思い切りの形として家路を歌っていると思う。 「どんなに遠くても辿り着いてみせる・・・(略)」自分の夢見た場所へ歩いて行こう。絶対に辿り着いてみせるんだ という、凄い力強い意志にあふれている 。今まで あまり物事を言い切らなかった彼が。 その頃の自分は、その年何とか高校受験に成功したものの 希望した学校とは違い、何ランク下の学校に何とか滑り込んだというのが実情だった。 毎日の学校生活が嫌で嫌で、夢や目標など無くて、ただ世間体の為だけに学校に通っていた。 「これからどこへ行くんだろう。どうなるのだろう」そんなこととか考えながら毎日を過ごしていた。 そんな時に励ましてくれたのがこの歌、詩で、特に「どんなに遠くても辿り着いて見せる」の歌詞だった。 好きな人が頑張ろうと言っている。自分も頑張ろうと思った。そんな曖昧な記憶がある。 ただ、本当の意味で(略)崩れそうな自分を支えてくれたのは、高校を卒業して希望の会社(定年まで勤め上げた会社)に入社した後だった。けれど配属は、自分の希望職種と180度反対の、「この部署だけには行きたくない」と思った部署へ配属させられた。 会社を何度辞めようと思ったし、実際他社へ試験受けに行ったし、「どうにでもなれ」と自暴自棄になった。そんな状況が、長く続いた。(中略) くじけそうになった時、全部放り投げだしてどこか遠くへ逃げ出そうと思った時、その一歩手前で、この詩の 「どんなに遠くても・・・」という歌詞を口ずさむことによって 自分を支えてくれたのがこの詩だった。 「HOME BOUND」のー家路―で、省吾さんが自分自身に言い聞かせ、励まし、それを踏み台にして 「愛の世代に前に」「PROMISED LAND」と続け、今の彼があの時希望していた場補へ到達しようとしているように、自分も「家路」を口ずさみながら 省吾さんと同じように自分の希望した場所へ一歩でも近づけるように努力しようと思う。 (略)色々な意味で、この「家路」が大好きです。 何より、イントロのピアノの音がとても綺麗で心にしみる。 (終) 詩の中で彼は「頑張れ」とは一言も言わない。 けれど、「家路」は自分にとっての人生の応援歌。魂を揺さぶってくれた詩。 今、寄稿文を読み返しても、-家路-は その時々の自分の背中を押し続くれた。 寄稿文を書いた36年後の今も、そのことは何一つ変わらない。
家路
浜田省吾
高校時代新聞部で部長をしていた。 卒業前に配られる三年生にとっての最終刊のコラムを任せられ、歌詞の一節である「人は去り、人は来る。でも気づけば、道標も無い道に一人」のフレーズを引用して出会い別れと自分自身を信じ続ける事をまとめた。 いつも顧問に添削されるが、その時は一文字も直されずに載せてもらった事を思い出す。 あれ以上の文章を今まで書けたことが無い。 一世一代のメッセージだった。
家路
浜田省吾
ホーム・バウンドに入っている家路と同じアレンジのバンドスコアもしくは、ピアノの楽譜を入手したいのですが、どなたかご存知でしょうか?
家路
浜田省吾
父親がずっと浜田省吾さんのことが好きで、お陰様で産まれる前からから浜田省吾さんが大好きな25歳のファンです。 「家路」の曲は、私にとって小さい頃からとても印象が深い曲です。 歌詞の「どんなに遠くても辿り着いてみせる」「空とこの道出会う場所へ」の意味が自分が少しずつ大人になるに連れて、変わってきてます。 小さい頃は、部活動や勉強などに打ち込んだり、綺麗な青空のイメージでしたが、今は少し大人になって、仕事でのやりがいだったり、様々な事で悩む事が多々ありますが、人生はまだまだ長いから、悩む事も含めて人生の旅を自分のペースで歩んでいこうと、捉えるようになりました。 また、バイクが趣味で以前父親と阿蘇山へツーリングした時に、果てしなく続く青い空と真っ直ぐな道を初めて見て、「家路」の曲が頭の中で流れました。 この先、30代、40代と歳を重ねるに連れて、「家路」の捉え方がきっと変わってくると思います。 人生をかけて、「家路」の曲を想いながら楽しんで行けたらなと願ってます。
家路
浜田省吾
JUKE BOXのBlu-rayをみて 病院勤務の夜勤のとき、産婦人科は 妊婦さんがいつ来るかわからず、でも、だいたい夜中に来て朝方生まれることが多く忙しく夜勤をしていたなーと そのうち、外が白白と明るくなり、金色なのかオレンジ色なのか朝日に眩しく照らされ、さあ、忙しい朝が来た そして、夜勤がもう少しで終わると大変だったけど、いい経験をさせてもらった思う現在です
家路
浜田省吾