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佐野元春
1980年。私が中学2年生の終わり頃にデビューされて以来の45年間、ずっと佐野さんの音楽や活動を追いかけつつファンを続けて来ました。 高校受験に失敗したり、通った高校では卒業ギリギリの出席日数だったり。 その後の紆余曲折でとある公務の職員になって日々の社会生活を送りながらも、ずっと佐野さんの一挙手一投足を追いかけていました。 やがて私はそれなりの年齢になって、自己と周囲からの様々な抑圧との狭間でもがく日常に耐えられなくなりました。 言い換えると、私の今までの自分を見つめ直し、これからの自分の道を切り開くための苦しくも重要な時期だったわけです。 そんな頃、約4年ぶりに発表されたアルバム「The Sun」の冒頭に収録されていた「月夜を往け」の壮大な演奏と歌詞に強く背中を押され、新たな生き方という道に進んでみよう!と意を固めました。 謂わば、私の人生最大の転機を応援してくれた大切で忘れられない1曲なのです。
元春がお盆のライジングサンでライブをやってくれて初めて生で観ることができました。道産子の中学生が「SOMEDAY」に出会い四十余年。変わらぬサウンドと歌声の中に、八月十五日ならではの思いが重なり、溢れる涙が止まりませんでした。 コロナ禍に相次いで見送った両親は、過酷な戦時中の経験のせいもあり二人とも病弱で、自分の四十余年は両親の世話と介護に明け暮れた日々でした。 最近は気が付けば独り暮らしの実家で、間近に迫りくる定年退職後の身の振り方をぼんやりと妄想するだけの空虚な休日を過ごしていました。 今年のお盆休み、地元で佐野元春のライブが観れる! それだけで勇気を出してチケットを申し込み、人生初の野外音楽フェスに単身参加しましたが本当に思い切って来てみて良かったです。自分の孤独な心にライブ「SOMEDAY」が小さな灯りをともしてくれたように思います。 元春今年ライジングサンに出演してくれてありがとうございます。そしてデビュー四十五周年おめでとうございます。
日割り発表されて秒で二泊三日の飛行機とホテルを押さえて 数日後、佐野さんが道局の生ラジオで 「スカパラには僕から声をかけます♪」と仰ってからもー! 待ってたよー! 「愛が分母」! 2019年8月のリリースと同時にライジングサンのステージで初披露することが決まっていたのに 残念なイベント中止決定からの 国内ではコロナ珍騒動からの 世界各地では紛争泥沼化からの 「今、何処」からの 「愛が分母」! Say yeah こんなスペシャルな気分は 「いま、ここ」にリアルに在る私だから感じきることができるんだ!感じちゃおぅありのままに強く深く♪ じつは 「愛が分母w/スカパラホーンズ」ナマ演奏を浴びることが今回の私的メインイベントだったのですが セットリスト10曲手元でメモらずとも全て肌から体に染み渡るように記憶しました←こんなことはじめての気持ちよさ♪ 最高の時間をありがとう!佐野さんだいすき♪ 【MWS 佐野元春ライブ全記録 2025年8月15日 RISING SUN ROCK FESTIVAL 2025 in EZO へ投稿した文を転載しました】なんどでもSay yeah🫰
この曲に酔いしれた10代半ば 大人の恋に憧れて 色気のある素敵な女性になりたいと思っていた それからいくつかの恋はしたけれど 食い気ばかりのアラフォーオンナになっていた 思いかけずお見合いで今の主人と出会い 結婚してから今年でコヨーテバンド結成と同じ年数 2つ年下の主人は私よりも精神年齢が上 元春ファンの私に付き合って 一緒にライジングサンに行ってくれた (元春をあまり知らない主人も ビートに合わせて拍手でノリノリ) Bye Bye C -Boyの主人公のような素敵な女性にはなれなかったけれど 食いしん坊で慌て者の私も悪くない 口ずさみやすい歌詞とリズム 元春が少年時代に作ったらしいこの曲 今日も鼻歌で夕食を作ります
「今、何処」ツアー 東京国際フォーラム。ようやく翌日という時に受けた父逝去の知らせ。覚悟はあったがまさかこのタイミングで?と、父を亡くした悲しみを感じつつも、行かれなくなったライブのことを気にする自分の薄情さを少し後ろめたく感じていた。 月日は流れ、このライブが映像化され一夜限りの上映会(しかもご本人登壇…)。 自分が行くはずだったライブを少し複雑な思いで眺め、終盤、アルバム内でも好きな曲、「明日の誓い」の後奏。あれ?「ラララ ラ〜ララララ…」と佐野さんのコーラスが入ってる!不意打ちを喰らったようで涙が溢れ出た。アルバムでもツアーの別会場でも聴いていたけれど、これまでコーラスが入るのは聴いた記憶がなかった、と思う。 佐野さんから、前を向いて明日に進めと言われているかのような、希望に満ちたコーラス。モヤモヤした雲が晴れた気がした。 ライブには行かれなかったけれど、映像があり、こうして聴くことができてよかった。ありがとう。 (もちろんBlu-ray買いました。宝物のひとつです。)
1980年、シングル『アンジェリーナ』でエピック・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)よりデビュー。日本のロックにおいて言語・音楽・映像等での先進的かつ革新的な表現を追求。DJ・雑誌編集・パーソナルレーベル(M's Factory)展開等の多岐にわたる活動と併せて常にアグレッシヴな発信を続ける。
1992年発表のアルバム『SWEET16』が第34回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。インターネット時代の到来を予見し、1995年に公式ウェブ・サイトを立ち上げ、1998年には国内初のライヴ有料生配信「地下室からの接続」を開催、現在も先駆的・実験的な活動を展開中。
2004年、独立系レーベル「Daisy Music」を設立。2022年、40年間の活動が評価され第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
2025年、デビュー45周年を迎え、3月に自身のクラシックスを新世代に再定義したアルバム『Hayabusa Jet Ⅰ』をリリース。7月からは20周年を迎えたTHE COYOTE BANDと共に全国でアニヴァーサリー・ツアーを行う。