長文となりますので申し訳ありません。
昨年春のある日に、会社に戻ると、デスクに手紙が置かれていました。
今時、珍しい手書きの手紙、なんだろう?と、裏返す。
送り主は、○○ ○○子。知らないなぁ、誰だろう?
○○子。
まさか、○○子さん?
でも、姓が違う。
住所は、東京都○○区○○町
えっ? 心がざわつく。
もう一度、送り主の名前を見る。
ざわつきが、更に大きくなる。
封書にハサミを入れ、便箋を取り出した。
少し右上がりの癖のある文字が並ぶ。
もう一度、封筒の送り主を見る。
○○子…
鼓動が大きくなった。
それは、40年ほど前の大学一年から就職してからもしばらく付き合っていた同い歳の彼女からの手紙でした。
手紙には、
少し前に、彼女の実家の大掃除をしたこと。
母親の文箱の中から、開封されていない一通の手紙出てきたこと。
その手紙の送り主は私だったこと。
私が田舎に帰ること。
母親が、長い間私の手紙を隠していたこと…
彼女は、結婚して二人の子供を授かったこと。
すでに中学生になる孫がいること。
数年前にご主人を亡くされたこと。
インターネットで私を探してくれたこと。
そして、私が見つかったこと。
懐かしくて連絡してしまったこと。
差し支えなければ、連絡が欲しいと、電話番号が書かれていた。
40年も前の記憶が蘇える。
幾度となく思い出した失恋の記憶。
思い出すたび、少しずつ痛みが小さくなった記憶が、また大きく蘇った。
でも、失恋の痛みとは違っていました。
大学を卒業し、東京で就職した2年目の夏の日、彼女は故郷の実家に来てくれました。
改めて、二人が結婚したいことを、私の両親に伝えるためでした。
私の両親は、決して反対はしなかったです。
ただ、若すぎることを心配して、田舎に帰ってきても良いことを話してくれた。
結局は、その言葉が二人の別れのきっかけとなった。
5時間ほどかかる東京への帰り道は車でした。二人が好きな浜田省吾さんのカセットテープが流れていました。
武道館や渋谷公会堂でのコンサートに行った時のことや、心打つ歌詞こと、いつもと変わらない話題で、楽しく帰路を過ごしていたと思います。
私だけかもしれませんが、別れることになることなど考えてもいませんでした。
それから数日後、
彼女から、別れを告げられました。
『あなたと、あなたの両親の思いの中では結婚できない。』
『私は、私の思いと私の両親の思いの中でしか結婚できない。』
これが彼女から聞かされた言葉でした。
理由は、私が若すぎること、そして彼女は一人娘だから、東京を離れられないとのことでした。
まるで『ラストショー』の『あなたの夢の中で生きて行けるかしら』の歌詞の答えのようでした。
田舎からの帰り道の時から、彼女は違うレールに敷かれていたのかもしれませんでした。
当時は、彼女と彼女の両親を憎みました。その憎しみと失恋の痛みで、どうしても浜田省吾さんの曲が聴けませんでした。
ようやく浜田省吾さん曲を聴けるようになったのは、私にも家族ができ、過去のこととして整理ができた後でした。
それは『The History of Shogo Hamada “Sine 1975”』のアルバムをふと目にして買った、失恋から10年程が過ぎた頃でした。
あの頃に止まった時間から、止まっていた時間を埋めてくれたのがこのアルバムでした。
今では、この彼女からの手紙をきっかけに、彼女とは、メール友達となっています。
40年もの時を超えた新しい?友達です。でも、距離がないのが不思議です。
私や彼女の家族のこと、日常の出来事。付き合っていた当時のこと。
東京でのイベントのことや、地方ではありますが、私が家内と、昨年の『ON THE ROAD 2023』に行ったこと。
彼女が行けずに羨ましがられたこと。
たわいもないことばかりですが、楽しくメールをしています。
今から思うと、私からの手紙を処分せずに隠してくれたのは、彼女に対する彼女の母親の親心だったと思います。
でも、隠していてくれたことで、また彼女と出会えましたので、今では私への親心でもあったのかもしれません。
失恋があったから、今の私にも家族がいて幸せに暮らせています。
多分、あの時結婚できていたら、私は彼女を幸せにできなかったような気がします。
彼女も幸せでいてくれたようですので、今では彼女や彼女の両親の選択が正しかったと思っています。
彼女には伝えていませんが、とても感謝しています。
健康でいる内は友達でいられたらいいねとお互いに思っています。この健康なうちに会えればと私は願っていますが、彼女の気持ちは確認できていません。
今後も、私も彼女も好きな浜田省吾さんの曲を通して、心が通じれば良いと思っています。
Coerulea
2024/08/06
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