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浜田省吾
ある日、突然彼女は 私の目の前にふってわいてきた 彼女自身、既婚 そんな事関係無く、猛烈なアタック 何を目標にしているのか? 何を目的にしているのか? まるでわからない 目をひきたいだけはわかる 目立ちたい 手を変え、あの手、この手で攻める 彼は妻帯者 それすらも、まるで見えていない 彼女を見てると… なんとも痛々しい女 執着心の固まり 現実がまるっきり見えていない 身近では絶対に居なかったタイプの女 超強力接着剤みたいと見える ストーカーする女って こういうタイプなんだと気付いた 彼に何の被害も無ければ良いけれど… 何かが起きてからでは遅い こんなにも粘着性が強い女が居る事に気付かされた
ある日、突然彼女は私の目の前に現れた。 今のこの時代…だけではでは無いだろうけど、 何かにつけてマウントをとってくる。 もしかしたらマウントをとってるつもりは無いのかもしれない。 でも、誇示してくる。 こんな女性とは、関わりたくは無い。 実害は無い。だったら、 放っておけば良いのも分かる。 私は、臭いものに蓋をしているのに、 彼女はその蓋を開ける。 そして、変わらず誇示を始める。 知った時から、何も変わらない。 自分自身が全く見えていないかのような。 『この人はこのまま人生を終えるんだろう』と 思うと、気分はすっきりする。 とても哀れに、とても可哀想な人なんだと思う。 世の中には本当にいろんな人がいる。 千差万別と言葉が有るように、 そんな人に私の心が乱されるのではなく、 省吾さんがある時に仰ってた 「あなたのまわりにいる家族や恋人や仲間、そして何よりも自分自身を大切にしてください」 この言葉は、 とても大事にしたい言葉のひとつ。 命有ること、生きる事が奇跡の連続。 毎日、生まれ変わったように丁寧に生きようと思います。 多少の事で乱されないように、 ちょっとした変化も楽しもう。
ON THE ROAD 2001のロングツアーの後、アルバルも出ずコンサートもなく、なんとなく元気が出なくていた数年後に、はじめて新曲がFMのプログラムで流れるとの情報を得て車のラジオで聴いていた。「君に会うために 戻ってきたよ」の歌詞で数年間のいざこざなどが蘇り涙腺崩壊。 それ以降この歌は元気の源の1曲です!
約35年前 広島サンプラザホールでの初日のコンサート この曲のパフォーマンスで予期せず観客の皆さんとハイタッチが始まりました 私も最前列だったので「え〜!省吾さんとハイタッチ?出来るの?いいの?」と頭の中で色んな思いがぐるぐると駆け巡りましたがいよいよ私の番がやって来ました! 温かく大きな手とハイタッチする事が出来ました! あの時のドキドキや省吾さんの手の感触を今でもしっかり覚えています 翌日のコンサートでは彼氏(現夫)も偶然にも最前列だったのでハイタッチ出来るんだよ!しっかりして来てね!と伝えた記憶があります 今でも夫婦でコンサートへ行きますが2人の心の中には35年前のあの時の記憶がこの歌と共にとてもあたたかいものとして残っています 今更ですが「ありがとうございました」とお伝えさせてください
      
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。