愛の世代の前に

浜田省吾

楽曲を聴く

投稿されるユーザーについては、利用規約に同意したものとみなします

金谷 相淳

愛の世代の前にのアルバムを買ったとき僕はまだ二十歳で、水産会社の4トン半の水槽車で大阪から伊勢(現在は南伊勢市)南島町という、おおよそ180キロをほぼ毎日活魚を取りに行って、大阪の生野区に有る大昌総業まで運んでいました。現在はトンネルが出来て道がショートカットされてますけど、その当時は能見坂隧道という(明治に開通した道現在は通行できません)峠を越えてゆくんですが、なかなか雰囲気のある怖さで、峠のトンネルが夏になるとモヤがかかって、車体の前5メートルほどしか見えず、その峠を30分くらいかけて夜中の2時頃通る時にイヤホンとカセットテープでよくアルバム愛の世代をガンガン聞きながら、 走ってたものです。 その経験があったからこそ、今は小さな飲食店を経営出来たと思っております。 現在今年8月16日に64歳になりました。 最初はレコードを買ってカセットテープにダビングして聴いていましたが、 CDになり浜田省吾のアルバムは殆ど持っていますが、今はsonyのZX707(オーディオプレーヤー)でsonyのIER-M7を使ってamazon music UNLIMITEDで聴いています。 浜田省吾コンサートも大阪城ホールも1回行きました。 その時はRoadAndSkyの会員でした。 今は入ってませんが、今も殆ど毎日仕事終わりに浜省を聴いてくつろいでいます。 後イーグルスも好きですけどね?

KAGOME

省吾さんの楽曲に出会ったのが、 この曲が入ってたアルバム。 それは、隣の部屋の姉が聴いているのを、壁越しに聞き、 (うんっ??なんと素敵な声の男性なんやろうと思った中学生の私) 姉が部屋を空けてた時を狙い、 こっそり姉のオーディオで聴き。 私は省吾さんに恋に落ちた。 (ませガキ) だけど、姉に黙って聴いたのがばれて、 「あんた!勝手に聴いたやろ?🔥」 と怒られ、2日ぐらい口を利いてくれなかった。 (分からんように戻したはずやのに、 なんでばれたんや?と思ったけど…) そこからずぅーーーっと 省吾さんに片想い。永遠に片想い。 姉が何枚か持ってるのも、 また懲りもせずこっそり聴きました。 写真が全部サングラスで、 (えっ?なんでサングラス? こんなにイケメンさんやのに) と思ってました。(今も) あなたの音楽は、 私のオアシス。 いつもありがとう🎵

アキラ先輩

13歳の時に初めて「愛の世代の前に」を聞いたときに稲妻が身体の中を駆け抜けた。その後仲間とバンドを組み「終わりなき疾走」が始まり、17の時、初めて本当の「愛しい人へ」の思いを知り、20歳の時にその彼女との辛い「ラストショー」を迎える。20代前半は「MONEY」と「J・BOY」に刺激を受け社会と戦い、27歳の時に「星の指輪」に出会い共に歩み始めることができた。 30代は「I am a Father」として駆け抜け、40代は人生の「家路」にたどり着く事をも追い求め、そして現在53歳。 今も変わらず浜田省吾というアーティストに「初恋」したままの人生を送ってます。 そして、これからの人生もずっと「君が人生の時」であり続けることでしょう。 浜田省吾という最高のアーティストと同じ時代を生きられたことに、心から感謝の人生です。

出不精ともくん

高校の時バンドを組んで初めてドラムを叩いた記念の曲です。腿が紫色になっても毎日練習していました。私とドラムセットを結び付けてくれた素晴らしい曲です。タブ譜も含め私が音楽に惹きつけられた素晴らしい曲です。

里美

中学2年生の体育祭に始めて聞いて鳥肌がたった 北海道の田舎の学生では調べる方法も知らず 体育祭は1〜3年生の合同のチアだった為 教えてもらえず、上京して社会人となり 周りに数人省吾さんの事が好きな人がいましたが その曲には出会えず、移動で出会った先輩にCDを借りたら再度曲に出会うこととなり それからどっぷり省吾漬の日々となりました。 そしてそのCDを貸してくれた人は旦那様となり 今も一緒にお互いに病気を乗り越え次のコンサートに行くことを目標に2人過ごしています。