山田茂

仲の悪かった妻が癌で亡くなりました。28年間私を無視しつづけ、辛い思い出しか思い出せない結婚生活でした。子供が独り立ちしても、なぜか婚姻状態は続けていましたが、同じ屋根の下で、話もしない顔を合わせない日々を過ごしました。妻の癌がわかった時私も病院で医師の話を聞きましたが、妻は娘とは話をしても、私は無視されてました。癌治療闘病中もそれはかわりませんでした。治療処置なし後は緩和ケアを自宅でという段階になって、娘のはからいで、同じ部屋で最後の話あいをした時も、それは変わりませんでした。私に直接話をすることもなく、目を合わせることもありませんでした。このまま死んでくれたら、「可哀想だったけど、悲しかない。」と言えるはずでした。でも、亡くなる6日前、妻の為に買ってきた飲料や、看取り介護で状態を確認する私に、妻が直接意思を示しました。手でOKマークをしたり、「すまない」みたいに拝む手つきでした。28年無視され続けた私には、何が起こったかわからない状態です。亡くなる4日前には、痛がる四肢を動かしてケアしていると、その私の腕に痩せた指を絡ませてきました。力無い声で「水」と言うのでストローのついたカップを渡す私の手に痩せた指を絡ませてきて「ここいる?いる?」とまるで少女の様に目をあわせて不安げに私に聞いてきました。「うん。いるよ。どこにもいかないよ。」と応えながら、この感覚は30年前付き合い始めた頃にあったような…愛しい気持ちでした。妻は狡いです。最期に離れていた心を掴んで、そうなった次の日からはもう眠るようになって、意思疎通できず、眠り続け、雷雨の激しく夜に自宅で息を引き取りました。遺体は翌日まで自宅のベッドに安置しました。私は明日の通夜葬儀に備えて、自分の部屋にいる真夜中この曲を聴きました。

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