板敷 直子

高校2年の夏 バトントワリングの指導者資格をとる為に アメリカに渡りました カリホルニア大学に寄宿させてもらいながら 学生達に混じって研修 を受けたのです その最終テストとなる場面では 現地の人達にバトンを教える という課題が課せられ 私の相手は成人男性で 言葉も通じない上に アメリカ人にしてはおとなしめで 異性という事もあり 苦戦しました その後 いよいよ合否の発表があり 大学の校舎の一室に挑戦者が集められ バトントワリングの会長から 合格者に資格の証書が手渡しされるという流れで進行していきました 自分の中では何一つ満足にできなかった思いがあり 名前を呼ばれる事なんてないなと その一連の儀式をまるで他人事のように眺めていたのです 案の定 発表は終わり あーやっぱり落ちたか とそれなりに落胆していると 会長の終わりの挨拶が始まり 落ちた私は いい加減に聞いていたのですが そこで聞き覚えのある単語が聞こえてきて ん?と思って戸惑っていると 前に出てくるよう促され 次の瞬間 症状を手渡され ました 自分の名前を呼ばれていたようです どうやら 私は基準には達していなかったけど 将来に期待するという会長の思いから 本来与えられなかった資格を今後に託され頂ける事になったのです 帰国した翌年のフラワーフェスティバルにバレードで行進していると 「カープで言うと 若いウエスタンリーグのメンバーです 昨年アメリカに渡り一周り大きくなって帰ってきました」 と会場アナウンスが流れ そうか 今はまだ2軍だけど そのうちトップチームに上って先頭に立って踊るけえね と心に刻みながら 平和大通りを踊り歩きました 浜田さんのAMERICAを聴くたびに 初めての海外に渡り 夢に向かって悪戦苦闘していた若かった自分に思いを馳せるのです

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