野上秀人

1995年1月17日、5時46分に発生した阪神淡路大震災は今も鮮明に記憶に刻まれてます。その日は前日までが三連休だったこともあり、1時過ぎまで神戸で友人と食事してました。その後自宅まで阪神高速を走って帰り寝床についたのですが、早朝に激しい揺れと聞いた事のない爆音、そして暗闇で青くひかる火花という光景から戦争でも起こったのか思うくらいで、頭がまず整理されなく、恐怖さえ思う間もない程の驚きでした。ただ家族を守らないととだけ思ったのははっきり覚えてます。暗闇の中で声を出し合い、割れて床に散らばったガラスを素足で踏みながらただ必死逃げた事を今も鮮明に覚えてます。なので暫く続いた余震には本当にトラウマのような恐怖を感じて過ごし、知人が何人か亡くなっていたりした事もあって心が随分落ちていました。当時は某宗教団体によるサリン事件もあり、世の中も暗い空気に包まれていたようにも感じてました。そんな何とも言えない感情を持って半年が経過した頃、省吾 さんが浜田省吾with THE R&S INSPIRATIONSの名義で町支さん達と『我が心のマリア/恋は魔法さ』を発表していただき、心の重みが少し解けたのです。それまでは暫く音楽を聴くこともないくらい落ちてましたので、この楽曲の発売で少し前を向ける気持ちになれました。そしてその翌年11月、14作目のオリジナルアルバム『青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜』が発売され、浜田さんにしてはとても明るいラブソングが散りばめられ(笑)新鮮な気持ちと共に、『コレはメッセージなんだ!』と解釈して聴き込みました。このアルバムは僕にとっては特別なアルバムになりました。そしてその中の『青空のゆくえ』には癒され励まされ、久しぶりになんだか温かいものに包まれた気持ちになったのです。初めて聴いた瞬間、涙腺が完全に崩壊して号泣しました。音楽を聴いてコレだけ泣いたのは初めてです。それまで閉じこもっていた感情が全て解き放たれたかのように溢れ出たのだと思います。どれだけ暗く霞んだ人生もきっと向こう側には幸せな世界もあるはず!そう諭してくれているように、僕の人生において一番って言っても過言ではない宝物のような楽曲となりました。 省吾さん、その節は、そっと背中を押していただき、本当にありがとうございました。

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