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終りなき疾走
1979年の秋。 中学校1年生,13歳の私は,放課後,幼なじみのシュンとカツシと甲府駅前を歩いていました。 アーケードの支柱にかけられていた1枚のポスター。 シュン 「こいつコマーシャルの歌を歌っている奴じゃん」 カツシ 「コンサートだって。行ったこんねえね(行ったことがないね)」 私 「いっちゃあ(行こう!)」 12月25日クリスマスの夜,山梨県民会館でコンサートを初体験しました。 当日の楽曲は全く覚えていません。 ホールの席はガラガラ。 私たち3人は,あちこちの座席へ移ったり,途中,ホール内を探検したり…。 終了後は裏口から楽屋へ忍び込みました。すると,若いお兄さん達数名が出てきて,私たちは彼らの後について外に出ていきました。そこに若い女性が数名集まってきて,サングラスをしたお兄さんにプレゼントを渡したのです。 「この人,浜田省吾じゃん」 と指をさした私。全く失礼なガキでした。 この時から浜田省吾との日々が始まりました。 当時は,毎日深夜までラジオを聴いていましたが,時々ラジオから流れる浜田省吾の曲やラジオ番組を必ずカセットテープに録音しました。 レコードを買うことも難しく,おこづかいを溜めてやっと買った「ホームバウンド」は宝物になりました。 90分のカセットテープに収めたコレクションを毎日,毎日,毎日…,ずっとくり返して聴いていました。 1年経った頃には,ほとんどの楽曲を覚え,どこにいても口ずさむようになり,13歳の少年のかけがえのない存在になっていました。 翌年,1981年1月28日に甲府で2回目のコンサートがあることを知りました。 「やったあー!」 チケット販売日の朝,私たち3人は中学校へ登校する前にシャッターの降りた楽器屋の前に並びました。 並んでいるのは私たち3人だけ。 「良い席を取れるかなー」と心配になりながら10時の開店を待っていました。(もちろん学校は遅刻しました) チケットは難なく前から7列目を取ることができました。 さあ,その日から毎日ワクワクです。 コンサート当日が待ち遠して仕方ありません。 そんな気持ちでいたある日,私は町中のファンシーショップに入り買い物をしました。 するとなんと,レジに浜田省吾のコンサートチケットが30枚ほど置いてあるじゃありませんか? 私 「これ何ですか?」 店員「500円以上買った方に差し上げています」 私 「…」 驚きよりも怒りや虚しさに近い感情が湧き,「じゃあ全部もらっていいですか?」と聴くと店員は「ええ,どうぞ」とあっさり答えるじゃありませんか。 「なんていうことなんだ!」。私は憤然極まりない思いでチケットを鷲づかみして学生鞄にしまいました。 翌日,私はそのチケットを学校の同級生,先生に売ることにしました。 1枚300円。あっという間に全部売れてしまいました。 でも,1万円ほど手にした中学2年生の私にとってその額は大金です。 申し訳ない気持ちになり,みんなにお返ししました。 1981年1月28日当日。 山梨県民会館には,同級生や先生もコンサートに来てくれました。 ON THE ROAD 2005-2007 My First LoveのDVDで浜田さんが言っていた「今度来るとき32人くらい連れてくるんだよー」を実践していたんですよ! 会場が暗転し,開演時間がきました。 ステージの真ん中でガッ,ガッ,ガッとブーツでキックする人の影… 「ワン,トゥー,スリー,フォー!」 『終わりなき疾走』が始まりました。 その瞬間,スーッと全身の力が抜け,宙に浮いたようなそれまで感じたことのない感覚になりました。 「目の前で浜田省吾が,『終わりなき疾走』を歌っている。それを今,その声を,その存在を,この瞬間を,俺は味わっている…」。 そんな興奮だったのかもしれません。今でも忘れられない感覚です。 あれから45年。 家族で何度もコンサートに行くことができました。 子ども達のスマホにも浜田省吾さんの楽曲がたくさん入っています。 今も妻とコンサートを待ちわびています。 日常生活の中にある浜田省吾さんの楽曲は,私にとって空気や水のようなかけがえのないものになっています。 出会えたことに感謝しかありません。 本当にありがとうございました!
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1979年の秋。 中学校1年生,13歳の私は,放課後,幼なじみのシュンとカツシと甲府駅前を歩いていました。 アーケードの支柱にかけられていた1枚のポスター。 シュン 「こいつコマーシャルの歌を歌っている奴じゃん」 カツシ 「コンサートだって。行ったこんねえね(行ったことがないね)」 私 「いっちゃあ(行こう!)」 12月25日クリスマスの夜,山梨県民会館でコンサートを初体験しました。 当日の楽曲は全く覚えていません。 ホールの席はガラガラ。 私たち3人は,あちこちの座席へ移ったり,途中,ホール内を探検したり…。 終了後は裏口から楽屋へ忍び込みました。すると,若いお兄さん達数名が出てきて,私たちは彼らの後について外に出ていきました。そこに若い女性が数名集まってきて,サングラスをしたお兄さんにプレゼントを渡したのです。 「この人,浜田省吾じゃん」 と指をさした私。全く失礼なガキでした。 この時から浜田省吾との日々が始まりました。 当時は,毎日深夜までラジオを聴いていましたが,時々ラジオから流れる浜田省吾の曲やラジオ番組を必ずカセットテープに録音しました。 レコードを買うことも難しく,おこづかいを溜めてやっと買った「ホームバウンド」は宝物になりました。 90分のカセットテープに収めたコレクションを毎日,毎日,毎日…,ずっとくり返して聴いていました。 1年経った頃には,ほとんどの楽曲を覚え,どこにいても口ずさむようになり,13歳の少年のかけがえのない存在になっていました。 翌年,1981年1月28日に甲府で2回目のコンサートがあることを知りました。 「やったあー!」 チケット販売日の朝,私たち3人は中学校へ登校する前にシャッターの降りた楽器屋の前に並びました。 並んでいるのは私たち3人だけ。 「良い席を取れるかなー」と心配になりながら10時の開店を待っていました。(もちろん学校は遅刻しました) チケットは難なく前から7列目を取ることができました。 さあ,その日から毎日ワクワクです。 コンサート当日が待ち遠して仕方ありません。 そんな気持ちでいたある日,私は町中のファンシーショップに入り買い物をしました。 するとなんと,レジに浜田省吾のコンサートチケットが30枚ほど置いてあるじゃありませんか? 私 「これ何ですか?」 店員「500円以上買った方に差し上げています」 私 「…」 驚きよりも怒りや虚しさに近い感情が湧き,「じゃあ全部もらっていいですか?」と聴くと店員は「ええ,どうぞ」とあっさり答えるじゃありませんか。 「なんていうことなんだ!」。私は憤然極まりない思いでチケットを鷲づかみして学生鞄にしまいました。 翌日,私はそのチケットを学校の同級生,先生に売ることにしました。 1枚300円。あっという間に全部売れてしまいました。 でも,1万円ほど手にした中学2年生の私にとってその額は大金です。 申し訳ない気持ちになり,みんなにお返ししました。 1981年1月28日当日。 山梨県民会館には,同級生や先生もコンサートに来てくれました。 ON THE ROAD 2005-2007 My First LoveのDVDで浜田さんが言っていた「今度来るとき32人くらい連れてくるんだよー」を実践していたんですよ! 会場が暗転し,開演時間がきました。 ステージの真ん中でガッ,ガッ,ガッとブーツでキックする人の影… 「ワン,トゥー,スリー,フォー!」 『終わりなき疾走』が始まりました。 その瞬間,スーッと全身の力が抜け,宙に浮いたようなそれまで感じたことのない感覚になりました。 「目の前で浜田省吾が,『終わりなき疾走』を歌っている。それを今,その声を,その存在を,この瞬間を,俺は味わっている…」。 そんな興奮だったのかもしれません。今でも忘れられない感覚です。 あれから45年。 家族で何度もコンサートに行くことができました。 子ども達のスマホにも浜田省吾さんの楽曲がたくさん入っています。 今も妻とコンサートを待ちわびています。 日常生活の中にある浜田省吾さんの楽曲は,私にとって空気や水のようなかけがえのないものになっています。 出会えたことに感謝しかありません。 本当にありがとうございました!