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バブル末期、松山。
社会人になったばかりの僕は、同級生の営むバーへ頻繁に入り浸っていた。そこで同い年の東京出身の個性豊かなヤツと出会う。どうやら勘違いでこのバーへ来るようになったらしい。僕たちは、会うたびにくだらない話をして酒を飲むようになった。そして、次第に僕やバーのオーナーの同級生や、さらに友人たちと店の外でも一緒に行動をするようになった。
何事にも緩かった当時は、道後公園で花見の宴会をして、煙をモクモクと出しながらバーベキューをしても平気だった。
持ち込んだギターで夜中に浜田省吾の歌をみんなで大声で叫んでもお咎めなし。なかでも印象的だったのは『ラストショー』。腕に覚えのある友人にかかれば、アコースティックギターでもイントロが玄人みたいに聞こえる。
花冷えで少し震える中、寒さを吹き飛ばしてくれてやっぱりいい曲だなと思った。もちろん、ヤツも同級生も僕も肩を組んで歌った。みんな若かった。
ある日、ヤツから転勤することを聞いた。『東京を通り過ぎて盛岡に転勤することになっちゃったよ…』なんと遠いところへ。想像もつかない土地へ。寒そうだ。
一風変わったヤツだが、実は一流大学出のエリートだったのだ。面白い仲間が一人遠い土地へ行ってしまうんだな、と淡々と受け入れるしかないんだよな。
金融機関の異動は急だ。時間をやりくりして見送りには行こう、と当時はまだ航路が残っていた松山ー神戸のフェリー乗り場に行った。花見に集まった仲間たちが何人も来ていた。
ヤツは車をフェリーに乗せて去って行った。僕たちは船が見えなくなるまで見送ろうとずっと駐車場に残っていた。やっぱり船での別れは寂しい。汽笛がそんな気持ちを増幅させる。柄にもなく泣きそうだ。
さあ、波の少ない港から北東に向かって舳先を切り、じきに見えなくなるぐらい離れた時、『みんなサヨナラ〜』という絶叫が海風に乗って聞こえてきた。
うそっ!あんなに離れているのに、と思うが先か、『うぉー、元気でなー』と声も枯れんばかりにみんなが声を揃えた。
サヨナラっ、てあの花見の時の『ラストショー』じゃないか、とばかりに暗がりの駐車場で仲間に見られないようにこっそりと涙を拭ったのも古き良き思い出。今でもみんな仲間です。

神楽坂 次郎 2024/08/22
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