赤いダッフルコート

まだ歌舞伎町に噴水があった大学時代 新宿でコンパがあると酔っ払った誰かがよく噴水に飛び込んだ 大学2年の秋、いつものようにそんな誰かを見てみんなで笑っていたら、まだ友達だった彼がひどく酔っ払ってポケットから小さく折り畳んだ紙を「これ、あげる」と私に差し出した 周りの冷やかしを振り払いながら「いいからもらって」と手を突き出し続けた 受け取ると、それは手汗でボロボロになって所々文字が擦り切れた『sand castle』のカセットの歌詞カードだった 「君に会うまでは」の歌詞が1番上に折られていた それから押されて押されて、約1年後彼は友達から恋人になった 京王線の彼の部屋に2人で帰る時、当時まだ東南口にあった古い石段の上からよく一緒に夜の新宿の街を眺めた そんな時いつもあの曲が私達の間に流れていたような気がする 小さな部屋の電気のスイッチの位置も、初めてスーツで就職の面接に行く前に繋いだ手が冷たかったことも、卒論の資料で散らかったコタツの上も、文字が擦り切れたあの曲の歌詞カードも、今でもみんな覚えている 社会に出て遠距離になって私から別れを切り出して、でも最後どうしてもお互いに「さようなら」と言えず「じゃあ、また」と言って別れて30年以上 ずっとひとりで浜省を聴いていた 誰とも一緒に聴きたくなかった 去年、まだ彼と友達だった頃みんなで一緒に行った「渚園」が映画になった 8月20日、あの街で映画を観た 今まで記憶の中にしかなかった19歳だった私と20歳の彼が映像になって目の前に現れたような気がして涙が止まらなかった 映画の後、あの噴水があった広場に立ってみた ビルの間から夕日が広場を照らしていた ようやく言えなかった「さよなら」がやっと言えたような気がした あなたはどこであの日の私達を観ましたか 今も浜省を聴いていますか 私は今幸せです あなたもどうか、どうかお元気で

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