ちょり

高校1年か2年。 高校の昼休みに、放送部がかけてた「Wild Hearts」を初めて聴く。 尾崎豊を教えてくれた親友だった彼から、 「これが(噂の)佐野元春やで」 と聞き、 「ヘー、ブルーススプリングスティーンみたいやな」 と言ったのを覚えている。 「~の人も、~の人も、っていう曲は知ってるけど」 と彼は言っていたが、彼自身はあまり興味が無かった様だ。 その後、レンタルレコード屋で「cafe bohemia」を借りる。 これが初めての佐野元春だった。 そんな俺を見て母親が、 「あっちゃん(近所の大学生)は、洋楽しか聴かないんだけど、  唯一聴く日本人は佐野元春なんだって」 と言った。 なんだそりゃ。 そんなに凄い人なのか。 母親に頼んで、持ってる全てのレコードを借りた。 そこには手紙が添えられていて、 「ダウンタウンボーイ」のシングルはアルバムとはバージョンが違うんだよ、 みたいな事が書かれていた。 他にも解説してくれていた様な記憶が有る。 この出来事は大きかった。 イメージとして、普通の邦楽とは違う、というのが、 摺り込まれた様な気がする。 「cafe bohemia」はオシャレだった。ジャケットも。 DCブランドかぶれの当時の俺には、何かピッタリだった。 尾崎豊ほど直接的じゃない、社会への抵抗を感じた。 それから大学へ。 つきあっていた彼女も佐野元春を好きになってくれて、 一緒にコンサートへも、たくさん行った。 初めてのデートでは、クリスマス、12月25日、心斎橋ミヤコで、クリスマスタイムインブルーの12インチを買って渡した、無理矢理。それから。 チケットぴあに、開店前から並んだ。 バイトの友達も佐野元春ファンだった。 (その名も佐野くん、だった!) クリスマスの神戸国際会館、「二人のバースデイ」の替え歌、クリスマスバージョンや、偶然、横浜に旅行した時、スタジアムの横を歩いていたら聞き覚えのあるメロディが聞こえてきた。ライヴの音声が漏れて聞こえてきたんだ! いつも僕の近くに彼の音楽があった。 デートの時、カーステには大体彼のカセットだった。だけど。 就職して、東京に行って、バックバンド、ハートランドが解散した。 それがショックだった俺は、「Fruits」アルバムをあまり聴いた記憶が無い。 彼女とも別れた。 フラれた後、未練たらしく、コンサートに誘った。 フルーツツアーか、ホーボーキングツアー。覚えてない。 来てくれたけど、海外旅行帰りの彼女は横で座って眠っていた。 これが最後の佐野元春だった。 結婚したヨメ、周りの友達にも佐野元春を聴く人は居なかった。そんな中で、彼の音楽を殆ど聴くことはなかった。 そこから「coyote」アルバムに飛ぶ。 「fruits」アルバムが96年。「coyote」アルバムが07年。 発売日に買ってないから、12~13年のブランク。 多分08年頃、何気なしにツタヤで「the sun」アルバムを借りた。 なんでやろう。思い出せない。 多分、web上で評判が良かったから、だったと思う。 聴いた。年月が経っているのを感じた。 最初はしっくり来なかった。 でも佐野元春は佐野元春だった。 歌詞がオッサンやった。でも、そこが良かった。 気付くと、ヘビーローテーションになってた。 で、「coyote」。ツタヤに無いから買った。 バンドメンバーが違っていた。しかもプレイグスの深沼参加。 ノーナリーブスの人も。 やられた。シングルカットの曲で泣いた。何故か。 少し経ってライブに行った。独りで。 独りでライブ、に義妹は引いていた。 で、セルフカバーアルバム「月と専制君主」。 選曲に興味を持った。amazonでアナログ盤を予約した。 届いて、聴いた。 無理をせず、今の声で歌う佐野元春と、完璧な演奏。 本当に完璧な演奏。 この歳になって、やっと、ハートランドより、 ホーボーキング(混成やけど)が好きになった。 円熟、か。 いくつかの既出の「H.K.B. Version」を配信で買った。 ウッドストック録音の「The Barn」も借りた。 これらが今、最高に好きだ。 歳をとった歌詞と声。ここがポイントかな。 高校1年生から56歳まで、好きでいるとは思わなかった。 でも、これからも聴き続けるだろう。

投稿されるユーザーについては、利用規約に同意したものとみなします