一番共感されたエピソード
この曲に寄せられたエピソード
(15件)-
初めて聴いたのは18の夏のキャンプの夜でした。誰かが持ってきたラジカセから流れてきた曲。「今夜誰もが夢見ているいつの日にか この町から出てゆくことを」のフレーズだけが頭に残り、帰ってすぐレコード店で探しました。タイトルを知らずお兄さんに歌って聴かせたことを思い出します。持ってきてくれたジャケットを見て衝撃! とても印象深いものでした。タイトル「約束の地」、キリスト教徒ではないのですが前から心に残っていた言葉でした。針を落とすと美しいオーシャンビューティ、からの、、アルバムは統一感があり、悲観的なことだけで無く、普通の市民の感情も込められていて浜田省吾さんの中でも一番好きなアルバムです。中でも「 My Honetown 」イントロから印象的。当時就職したばかりで、楽しいけれど大学に行った仲間たちとも途切れ、家付でもあったので相変わらずの親の目があり、鬱屈していました。瞳の中少しずつ死を運び込むよな仕事に追われてる 出てゆきたい!ここと違うどこかへ!そう感じていた頃。このアルバムから浜田省吾さんへ傾倒してゆくのです。省吾さんの曲はみんな好きで、それは唯一のアーティストでした。出会いの曲でもあるです。リアルで聴けた時の感動!何年経っても色褪せない。名曲は沢山あって、でも私の中での一番は「 My Hometown 」なのです。
レオ
2024/08/03
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高校1年の地方都市でLIVEのオープニング。今夜、誰もが夢見ているいつの日にか、この街から出ていくことを〜♪が、ぴったりハマって!
しゅんすけ
2024/08/02
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1982年 はじめて浜田省吾の存在を知った。
中学3年の私は自分の将来など考える余裕などなく、周りからの言うことに従い悶々と生きていた。15歳の私にはそれが当たり前だった。そんなある日、ひまつぶしに駅前の小さなレコード店に入った。特に買いたいレコードもなかったが、友達も知らない自分だけが知っているミュージシャンが見つかればいいなぁと思っていた。そして、店内のレコードジャケットをジャズから演歌まで片っ端から見ていたが感じるレコードはななった。店員さんに申し訳ないと思ったかは記憶にないがかなりの時間店内にいた記憶がある。そして、そんなレコードが見つからず「もういいかぁ」と思いながら手に取ったのが浜田省吾〈PROMISED LAND~約束の地〉だった。「なんだこのジャケット」と感じた。そう、感じたんだ。田島照久氏がデザインした訴えかけるデザインに。家に帰り「この人はどんな歌を歌うんだろう?」と、最初に聞いたのが〈マイホームタウン〉だった。それは衝撃だった。「俺はこの街で生まれ16年教科書をかかえ手にしたのはただの紙切れ」の歌詞に。今の言葉でいうとマジか!だ。人の心情を歌うミュージシャンが大半の中、生き方を歌うミュージシャンが私には新しい存在だったのかもしれない。それからコンサートにも行くようになり、浜田省吾の曲と一緒に、もちろんいろんな事があったが、出会って44年生き抜いている。その中で、とてつもなくありがたく、そして不思議なできごとがあった。私は小説を出版するという夢があった。その夢がかなったときの本のジャケットデザインが・・・・。縁とは不思議なものだと常々感じる。わたしが〈マイホームタウン〉と出逢ったのも単なる「縁」なのかもしれない。でも、その単なる縁を大事にして、本当によかったと、いま思う。
翼ある太陽
2024/08/02
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母が浜田省吾さん大好きで母の影響で好きなりました!!
初めて聞いた曲は車で流れていたMy HOMETOWNで、当時中学生でした!!w
それから色んな曲聴くようになり、社会人になった今でも毎日聴いてます!
くまさん
2024/08/01
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初めて聞いた浜田さんの楽曲です。中学2年生でした。あれから40年、聴くたびにあの頃の情景を思い出します。今は離れた故郷とあの娘の笑顔を!
舛田賢治
2024/08/01
今から約20年前。息子を保育園に預けて仕事と子育てに奮闘していた頃の話。
我が家は主人も私も省吾ファン。妊娠中から胎教にはチカラを入れて毎日省吾のアルバムを聴かせていました。
いつものように仕事帰りに保育園にお迎えに行き、園を出発する頃にはゲリラ豪雨になっていました。
仕事にも疲れている上に雨にまで降られ、きっと私は落ち込んだ顔をしていたのでしょう。
自転車の後ろに乗っていた年長の息子が、
「🎵パワーシャベルで削った丘の上いくつもの〜」とまるで私を励ますかのように歌い出しました。
うれしくて私も一緒に歌いながら、雨の中自転車を漕ぎながら帰りました。
そしてココロの中ではもちろん、
『胎教、大成功‼︎』と叫んでいました。
〈終〉