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大学受験に失敗し、父の仕事の関係で、福岡から広島に引越し、1年間予備校に通いました。その予備校で気になるちょっと大人びた女性がいましたが、浪人の身なので告白することもなく、廊下ですれ違う度にドキドキしていました。ちょうどこの歌詞にあるよう「予備校の湿っぽい廊下であの娘と出会った」、歌詞のようはお付き合いはしませんでしたが、その後、大学に進学した年に発売された「J.BOY」の中のこの曲を聴いた時、自分の体験に近く鳥肌がたちました。そして、私が通っていた予備校は、浜田さんも通われていた「広島英数学館」だと知った時は、衝撃的な感動がありました。少しだけですが、リアルな「19のままさ」の主人公になった気分でした。
わたふ
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
私は、7年に、妻を交通事故で、亡くしました亡くなる前は、良く、カラオケにも、家族で、行きました。浜省が、大好きな、私が歌う曲は、浜省ばかり。そんな中で、妻が、大好きだった曲が、家路です。今も、この曲を歌う度に、亡き妻を思い出し、心を込めて、妻にささげて、歌っています。