この曲に寄せられたエピソード
(45件)-
浜田省吾
還暦をきっかけに断捨離を始めた。
押し入れの奥に、手紙の束、昔、省吾さんフアンとやり取りした手紙の束を見つけた。
その中に、「僕の好きな歌」 -家路-という、友人主催の同人誌に寄稿した(と思われる)文章の下書きが出て来た。
文書の最後の日付は1989年5月11日とある。
拙い文書だが紹介しようと思う。(基本原文 ダブリの内容は略、少しわかり箇所は訂正済)(寄稿文)
僕の好きな曲のタイトルで いざ原稿を書こうと思う。結構難しいですね。あの歌も、この歌も好きだし、すべての歌にその時々思い出が入っているし(中略)
今回は「家路」について書こうと思う。「家路」を聞いたのは、丁度高校の1年の冬 それまでの「君が人生の時」「MIND SCREEN」といった、少し甘口のアルバムから「ガラ」と変化した「HOME BOUND」の中に入っていた詩。
あの頃の省吾さんって「陽の当たる場所」にその頃の彼の状況が詳しく書かれてあるけど、「何も失う事がない」「もう何もいらない」「中途半端な名誉も成功もいらない」そんな思い切りの形として家路を歌っていると思う。「どんなに遠くても辿り着いてみせる・・・(略)」自分の夢見た場所へ歩いて行こう。絶対に辿り着いてみせるんだ という、凄い力強い意志にあふれている 。今まで あまり物事を言い切らなかった彼が。
その頃の自分は、その年何とか高校受験に成功したものの 希望した学校とは違い、何ランク下の学校に何とか滑り込んだというのが実情だった。
毎日の学校生活が嫌で嫌で、夢や目標など無くて、ただ世間体の為だけに学校に通っていた。
「これからどこへ行くんだろう。どうなるのだろう」そんなこととか考えながら毎日を過ごしていた。
そんな時に励ましてくれたのがこの歌、詩で、特に「どんなに遠くても辿り着いて見せる」の歌詞だった。
好きな人が頑張ろうと言っている。自分も頑張ろうと思った。そんな曖昧な記憶がある。ただ、本当の意味で(略)崩れそうな自分を支えてくれたのは、高校を卒業して希望の会社(定年まで勤め上げた会社)に入社した後だった。けれど配属は、自分の希望職種と180度反対の、「この部署だけには行きたくない」と思った部署へ配属させられた。
会社を何度辞めようと思ったし、実際他社へ試験受けに行ったし、「どうにでもなれ」と自暴自棄になった。そんな状況が、長く続いた。(中略)
くじけそうになった時、全部放り投げだしてどこか遠くへ逃げ出そうと思った時、その一歩手前で、この詩の
「どんなに遠くても・・・」という歌詞を口ずさむことによって 自分を支えてくれたのがこの詩だった。「HOME BOUND」のー家路―で、省吾さんが自分自身に言い聞かせ、励まし、それを踏み台にして
「愛の世代に前に」「PROMISED LAND」と続け、今の彼があの時希望していた場補へ到達しようとしているように、自分も「家路」を口ずさみながら 省吾さんと同じように自分の希望した場所へ一歩でも近づけるように努力しようと思う。(略)色々な意味で、この「家路」が大好きです。
何より、イントロのピアノの音がとても綺麗で心にしみる。 (終)詩の中で彼は「頑張れ」とは一言も言わない。
けれど、「家路」は自分にとっての人生の応援歌。魂を揺さぶってくれた詩。
今、寄稿文を読み返しても、-家路-は その時々の自分の背中を押し続くれた。
寄稿文を書いた36年後の今も、そのことは何一つ変わらない。
ペンとパン
2025/02/09
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浜田省吾
父親がずっと浜田省吾さんのことが好きで、お陰様で産まれる前からから浜田省吾さんが大好きな25歳のファンです。
「家路」の曲は、私にとって小さい頃からとても印象が深い曲です。
歌詞の「どんなに遠くても辿り着いてみせる」「空とこの道出会う場所へ」の意味が自分が少しずつ大人になるに連れて、変わってきてます。
小さい頃は、部活動や勉強などに打ち込んだり、綺麗な青空のイメージでしたが、今は少し大人になって、仕事でのやりがいだったり、様々な事で悩む事が多々ありますが、人生はまだまだ長いから、悩む事も含めて人生の旅を自分のペースで歩んでいこうと、捉えるようになりました。
また、バイクが趣味で以前父親と阿蘇山へツーリングした時に、果てしなく続く青い空と真っ直ぐな道を初めて見て、「家路」の曲が頭の中で流れました。
この先、30代、40代と歳を重ねるに連れて、「家路」の捉え方がきっと変わってくると思います。
人生をかけて、「家路」の曲を想いながら楽しんで行けたらなと願ってます。
ゆりえってぃー
2024/09/19
子供の頃から健康だけが取り柄だった私が
ある日交通事故で大怪我して足に大きな障害を
負ってしまったり、あるときは頭の中の
血管異常で急に倒れて
病院に運ばれて緊急手術したり…
それでも不死鳥のようによみがえり
復活をとげてきたのですが
数年前にお腹の中に悪性腫瘍がある事がわかり
その時ばかりは『もうダメだ…』と限界を
感じていました。
ヒトはいつか死ぬのが宿命でそれが
私はそれがみんなより少し早いだけ
なのかもしれない…
そのときに突きつけられた偽りのない現実です。
その時にたまたま聴いていた省吾さんの家路が
胸に突き刺さったんです。
この命が尽きた時に『帰る場所』に行くときに
この歌を聴いて逝きたいと…
夫や兄姉には今際の時や出棺する時には
家路を掛けて見送ってほしいと伝えてました。
『何言ってんの?!』と言われましたが
偽りのない本心でした。
あれから6年…変わったことはたくさんあるけど
今現在、転移も再発もなく過ごしています。
そして省吾さんを通じて新たな友人も増えました。
そんな中でファンの方がひとりで開いている
あるお店を友人が発見しました。
ひとりですべて手作りのお惣菜を作って
地元のお客さんが多く通う小料理屋さんです。
ある時に友人に誘われ何気なく行ったのですが
そのオーナーさんの作る料理を食べて
ふと感じたのが、亡くなった母の料理の味に
よく似ていたのです。
もう少し、ここのお料理食べていたいな…
素直な私の思いです。
今の家路は『その時』ではなくて
オーナーさんのお店へ行くときに
駅からの道をイヤホン越しに
省吾さんの家路を聴きながら
『どんなに遠くてもたどり着いてみせる』と
自宅からは近くはないお店へ行く
ワクワクするような気持ちで
夕暮れ時にバスに揺られて聴いてます。
今では、オーナーさんのお店は
私の第二の実家となりました!
あの時は生きる事を少しだけ諦めていた部分も
ありますが、今は違います。
夫はもちろんのこと、大切な『浜友』さん達と
今あるこの時を楽しくみんなで笑って
そして、今しかないこの時を
大切に有意義に過ごしていきたいと思っています。