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今では、マスク姿もあまり見かけなくなった2024年。
緊急事態宣言と言う言葉が、昔の言葉のように響く。省吾に限らず、全ミュージャンのライブが中止や無期延期。
舞台や映画もまた同じ。
私の仕事もお休みになりました。
テレビから聞こえてくるニュースは、マスク不足や感染者数の増加と有名人の方の訃報など暗いものばかり。
母から聞いた戦時中の灯火管制の時代ってこんな感じに似ているのかも知れないなって感じていた。ようやく、仕事開始の知らせが来て、仕事に向かう支度をする。
いつもより明るい色の服を着た。新しいマスクもピンクにした。
少しでも明るい気持ちになれたらいいと…。ようやく、仕事もいつも通りになってきて世の中も落ち着いてきた頃
仕事場に向かう車の中
ラジオから、この曲が流れてきた。イントロから省吾の香りがする。大きな声で歌いながら
気がつくと、涙が頬を伝っていた。大丈夫って
大丈夫って
大丈夫だよって。仕事場のみんなに
向かって言っていた言葉。みんなに大丈夫って言うことで自分の不安を打ち消していたのかも知れない。
ラジオから省吾の声で
大丈夫って言われて、はじめて
不安から解き放たれた気がして
涙が溢れたのかも知れない。異常気象、戦争は終わらず、経済も政治も混乱している今、決して不安はなくならないけれど、省吾が大丈夫って歌ってくれたら、乗り越えられる気がする。
この歌には、大きな安心感と未来への希望を感じさせる力がある。
猛暑もなんとか乗り越えられそうです。
きゃんでぃ
2024/08/06
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長女の結婚式
初めての新婦の父親としての結婚式
小さい頃から娘、息子を連れてスキー、海水浴旅行に行きました、本当に楽しかった。何時も車旅行のお供は浜省。家族みんなが浜省を歌える迄に成長していきました。
そんな想い出を携えながらの披露宴となりました。
良い婿さんに恵まれひと安心です。
披露宴で流れる曲は娘、婿さん共に好きな今流行りの曲、あんなに小さい頃から長女長男を連れて家族旅行では浜省聴かせたのに‥
ふと卓上を見ると 席上カードには、
「ロックスターでもない、ムービースターでもないけど、私のヒーローです、」
とのメッセージ。少し、ウルッ、
式も進み、親父の唯一の出番、花束贈呈、
ん、このイントロは
「星の指輪」
嫁と涙腺崩壊寸前、
ふと花婿を見ると先に大号泣中、お前が泣くな!
♪子供たち、おふくろにあずけて〜♪
を、袋に入れて預ける、と、歌詞を勘違いして子供の頃、泣いていた娘、
そんな事もあり、星の指輪を選曲してくれた事に、
号泣です、大感謝です。
「輝く 星を指輪にして」
大好きな家族はいつでも応援しています。幸せに
りゅう
2024/08/06
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
あれは20代初めの頃 昼はOL夜は家の近くのスナックGでアルバイト スナックのお隣の八百屋さんで働いていたKさんは名古屋でスナックを経営していた時に浜田さんにお店で歌ってもらった事もあるという省吾ファン お客さんだったKさんの影響もありスナックGでは、いつも省吾の曲がかかっていました 当時大好きだったマスターやお客さんたちと閉店後ご飯に行ったり映画に行ったり朝まで遊んでたなあ 今よりハチャメチャで勢いがあった昭和の時代 そのままお店で朝を迎えることもしばしば お店でかかっていた「朝のシルエット」もの悲しく懐かしい大好きな思い出の曲です