この曲に寄せられたエピソード
(12件)-
2022年、自分が21歳の時の思い出の曲です。
都内の大学3年生で、学祭実行委員会で総務局長として一年間活動していました。
当時はまだ大学からのコロナ関係の行動制限は厳しく、対面で仲間と会うことが中々出来ない状態でした。学祭も一応対面開催方向だけど、決定は夏頃という状態で、自分の2022年がスタートしました。素敵な新入生の迎え入れ、出展団体や役所とのやり取り、大学との開催概要や施設関連の調整など多くのやり取りがあります。
そのために、メンバーに動いてもらって成果を出してもらって、着々と準備が進んでいきます。目標に向かって共に頑張りつつ、その時間を分かち合って楽しむのがサークルの醍醐味なのに、今まで当たり前だった対面で話したり遊んだりできないのは何と悲しいことかと気付かされました。
仲間とコミュニケーションを毎日とっていても、暖かいやりとりがあっても、大体はリモートなので、どこか孤独や寂しさを感じながら作業していた記憶があります。そして、対面開催が決定してからも、コロナでルールは変わって過去のは参考にならないし、誰も対面開催を経験したことないわで、全てが未知な状態でした。
ここでふと浮かんだ考えが、しばらく頭から離れなくなったのです。
"方向性と枠組みを各所と調整してメンバーに示して動いてもらってるけど、ホントにこれで開催できるのか?"ずっと付き纏っていました。
仲間に頼って相談して作り上げた枠組みだからこそ心配はそこまでしてなかったけど、責任は自分が取る必要があるという点で不安でした。
多くの人を振り回して来たのに、どこかで不備があったら、もしくはコロナが再拡大して機会そのものを失ったら、、言い換えれば、取れない責任を密かに抱えているという点で不安でした。そんな道中、9月11日に高崎で浜田さんのライブがありました。
後半で歌ってくださった"この新しい朝に"には以下の歌詞があります。
"辿り着くまで涙は見せない、大丈夫、大丈夫、大丈夫だからって"
大丈夫!とメンバーに言ってる分、誰かにそう思わせて欲しかった自分は、堪えきれずに泣いてしまいました。
同時に励まされて元気になれました。
ここまで来たら後はやるだけ!方向性を示せるのが自分なら、大丈夫なようにすれば良い!そして準備は進み、10月下旬に開催されました。
目まぐるしくて大変だったけど、無事に終えることができました。
そして片付けの日の朝、キャンパスのビルとビルの隙間から見えた雲ひとつない青空とそこから覗く太陽は、人生で一番綺麗で今でも忘れられません。ただひたすら圧倒されていました。
もうひとつ、行動制限が緩和された後にやった打ち上げで、メンバーに会えて、みんなの笑顔を見ることができて、本当に走って良かったな、走るって楽しいなと思うことができました。"この長い坂道の向こうに広がる世界はまだ見えてはこないけど、長い坂道の上に広がる空は 高く 蒼く深く 強く凛と輝いている"
この言葉は自分にとって大切な言葉です。
はぶらし
2024/08/28
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今では、マスク姿もあまり見かけなくなった2024年。
緊急事態宣言と言う言葉が、昔の言葉のように響く。省吾に限らず、全ミュージャンのライブが中止や無期延期。
舞台や映画もまた同じ。
私の仕事もお休みになりました。
テレビから聞こえてくるニュースは、マスク不足や感染者数の増加と有名人の方の訃報など暗いものばかり。
母から聞いた戦時中の灯火管制の時代ってこんな感じに似ているのかも知れないなって感じていた。ようやく、仕事開始の知らせが来て、仕事に向かう支度をする。
いつもより明るい色の服を着た。新しいマスクもピンクにした。
少しでも明るい気持ちになれたらいいと…。ようやく、仕事もいつも通りになってきて世の中も落ち着いてきた頃
仕事場に向かう車の中
ラジオから、この曲が流れてきた。イントロから省吾の香りがする。大きな声で歌いながら
気がつくと、涙が頬を伝っていた。大丈夫って
大丈夫って
大丈夫だよって。仕事場のみんなに
向かって言っていた言葉。みんなに大丈夫って言うことで自分の不安を打ち消していたのかも知れない。
ラジオから省吾の声で
大丈夫って言われて、はじめて
不安から解き放たれた気がして
涙が溢れたのかも知れない。異常気象、戦争は終わらず、経済も政治も混乱している今、決して不安はなくならないけれど、省吾が大丈夫って歌ってくれたら、乗り越えられる気がする。
この歌には、大きな安心感と未来への希望を感じさせる力がある。
猛暑もなんとか乗り越えられそうです。
きゃんでぃ
2024/08/06
2022年、自分が21歳の時の思い出の曲です。
都内の大学3年生で、学祭実行委員会で総務局長として一年間活動していました。
当時はまだ大学からのコロナ関係の行動制限は厳しく、対面で仲間と会うことが中々出来ない状態でした。学祭も一応対面開催方向だけど、決定は夏頃という状態で、自分の2022年がスタートしました。
素敵な新入生の迎え入れ、出展団体や役所とのやり取り、大学との開催概要や施設関連の調整など多くのやり取りがあります。
そのために、メンバーに動いてもらって成果を出してもらって、着々と準備が進んでいきます。
目標に向かって共に頑張りつつ、その時間を分かち合って楽しむのがサークルの醍醐味なのに、今まで当たり前だった対面で話したり遊んだりできないのは何と悲しいことかと気付かされました。
仲間とコミュニケーションを毎日とっていても、暖かいやりとりがあっても、大体はリモートなので、どこか孤独や寂しさを感じながら作業していた記憶があります。
そして、対面開催が決定してからも、コロナでルールは変わって過去のは参考にならないし、誰も対面開催を経験したことないわで、全てが未知な状態でした。
ここでふと浮かんだ考えが、しばらく頭から離れなくなったのです。
"方向性と枠組みを各所と調整してメンバーに示して動いてもらってるけど、ホントにこれで開催できるのか?"
ずっと付き纏っていました。
仲間に頼って相談して作り上げた枠組みだからこそ心配はそこまでしてなかったけど、責任は自分が取る必要があるという点で不安でした。
多くの人を振り回して来たのに、どこかで不備があったら、もしくはコロナが再拡大して機会そのものを失ったら、、言い換えれば、取れない責任を密かに抱えているという点で不安でした。
そんな道中、9月11日に高崎で浜田さんのライブがありました。
後半で歌ってくださった"この新しい朝に"には以下の歌詞があります。
"辿り着くまで涙は見せない、大丈夫、大丈夫、大丈夫だからって"
大丈夫!とメンバーに言ってる分、誰かにそう思わせて欲しかった自分は、堪えきれずに泣いてしまいました。
同時に励まされて元気になれました。
ここまで来たら後はやるだけ!方向性を示せるのが自分なら、大丈夫なようにすれば良い!
そして準備は進み、10月下旬に開催されました。
目まぐるしくて大変だったけど、無事に終えることができました。
そして片付けの日の朝、キャンパスのビルとビルの隙間から見えた雲ひとつない青空とそこから覗く太陽は、人生で一番綺麗で今でも忘れられません。ただひたすら圧倒されていました。
もうひとつ、行動制限が緩和された後にやった打ち上げで、メンバーに会えて、みんなの笑顔を見ることができて、本当に走って良かったな、走るって楽しいなと思うことができました。
"この長い坂道の向こうに広がる世界はまだ見えてはこないけど、長い坂道の上に広がる空は 高く 蒼く深く 強く凛と輝いている"
この言葉は自分にとって大切な言葉です。