板敷 直子

当時私は中学2年生でした その日常と言えば 学校帰りにバトントワリングの練習に汗を流し 家に帰ればラジオを聴きながら宿題をする 時々祖母の家に遊びに行ったりして過ごす そんな日々を過ごしていました 青少年センター そこがバトントワリングの練習場でした 練習が終わると決まって ホールに移動して ステージ上で繰り広げられる 吹奏楽の人達の練習だったり バンドの人達の演奏だったり 客席で聴いて一息ついて帰る それが青少年センターでのルーティーンでした そこからバス停までの帰り道 すぐ側にある市民球場から 時に聞こえてくる歓声 あっ 山本浩二がホームラン打ったんかな 今すぐ球場に入ってゲームを觀たいな なんて思いながら 片手に学生鞄 片手でバトンをクルクル回しながら 夜の街をバス停まで歩いたものでした 私の祖母が最後に暮らしていた場所が元宇品でした 私は産まれた時から高校生になるまで 元宇品で時間を過ごす事が多く まだ水族館や造船所があった頃で 海も綺麗でした 元宇品に行き来する道すがら 交番があったのはよく覚えています そこに交番がある事が 子供心に安心感を与える存在に感じていました そして元宇品小学校のすぐ側に 先祖の墓があり 小さな頃から今も参りに行っています 祖母は元宇品に来る前は呉に住んでいて 祖父は呉の海軍工廠で働いていて 最後は戦争に招集されて戦死したそうです 祖母は歌が好きな人で よく歌って聞かせてくれました そんな影響で私も物心ついた頃から歌は好きでした バトンの練習から帰ると ラジオを聴きながら宿題をするのが日課でした そんなある日 父がアイワのカセットデッキを買って来てくれて 大喜びの私は より一層ラジオを聴いて過ごすようになり 柏村武昭のサテライトナンバーワンなど RCCラジオをよく聴いていました そしたら これまでに聴いた事のないイントロにゾクゾクして 慌ててカセットの録音ボタンを押した事を 今でもよく覚えています 次に歌声とメロディが飛び込んできて 当時中学生の私が初めて哀愁というものを感じて その世界に引き込まれたんです まさに一瞬で恋におちた そんな瞬間でした 曲の終わりに 「浜田省吾さんの愛のかけひきでした」 と紹介があり そこで初めて浜田さんを知りました テープが擦り切れるんじゃないかと思うくらい 何回も何回も再生して聴いた 初めての浜田さんの曲が 愛のかけひきだったのです この瞬間に出会わなかったら 今の時分は居ない そう言っても過言ではないくらい この時に出会った 愛のかけひき 私にはかけがえの無い曲なのです 浜田省吾とはどういう人なのか 今のようにネットで調べる手段もなく おそらく当時中国新聞の片隅にプロフィール的なものが載っていたようにおもいます それを一読してびっくりしたのが 自分と同じ広島県出身である事と 更に驚いたのが 自分と同じ誕生日だった という 私には奇跡みたいな事柄でした カセットデッキを買ってくれた父は 今年1月に癌で亡くなりました 痛みから解かれて 去っていった ひとりきり ほんとにそんな最期でした その父も亡くなる数日前 私の影響で 浜田省吾のファンだ と 言って微笑んでいました それを見た母も嬉しそうに父を眺めていました もちろん母も浜田さんの大ファンです そんなふたりを見て 私はつかの間穏やかな幸せな時間を過ごせたのです 今では私の主人 息子 娘 娘のお婿さんまでも そして親友も 皆 浜田省吾さんをまるでじぶんの身内に感じでいるくらい なくてはならない存在になっています わたしを取り巻く人達によって 自分は生かされていると この歳になって しみじみ感じながら 日々を過ごしています そしてそこには必ず 浜田さんが居るのです 浜田さんの曲でどれが一番好き なんて 決めれるはずもありません どの曲もこれまでの人生を彩ってくれました そのはじまりだったのが 愛のかけひきです

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高野 まい

青少年センター懐かしいです!