この曲に寄せられたエピソード
(6件)-
小学一年生の頃、浜田さんの音楽に傾倒していた両親のもと、渚園のライブ映像収録のビデオテープを家族みんなでみて、感動していた記憶が強く残っています。これが僕の浜田さんを知るきっかけでした。小学生ながら、他の子はアイドルに夢中になっていたが、僕は浜田省吾というミュージシャンに子供ながら戦隊もののヒーローのように強い憧れの存在として映っていたと思います。中でも愛のかけひきの夕日のステージでカントリーシャツにアダマスオベーションギターで歌う浜田さんがとてもカッコよくて衝撃的で、小学一年の少年が、浜田さんを真似て、バンダナ巻いて、サングラスして父親のアコギを持って、浜田さんと同じようにテレビに向かって歌っていました。
あれから30年という何月が経ちましたが、今の自分もギターを弾いて曲を作り歌っています。自分の原点である浜田省吾の愛の駆け引きは音楽を好きになったきっかけであり、僕にとっての初恋ですね。
石田智也
2024/08/06
-
当時私は中学2年生でした
その日常と言えば
学校帰りにバトントワリングの練習に汗を流し
家に帰ればラジオを聴きながら宿題をする
時々祖母の家に遊びに行ったりして過ごす
そんな日々を過ごしていました青少年センター
そこがバトントワリングの練習場でした練習が終わると決まって
ホールに移動して
ステージ上で繰り広げられる
吹奏楽の人達の練習だったり
バンドの人達の演奏だったり
客席で聴いて一息ついて帰る
それが青少年センターでのルーティーンでしたそこからバス停までの帰り道
すぐ側にある市民球場から
時に聞こえてくる歓声あっ 山本浩二がホームラン打ったんかな
今すぐ球場に入ってゲームを觀たいななんて思いながら
片手に学生鞄
片手でバトンをクルクル回しながら
夜の街をバス停まで歩いたものでした私の祖母が最後に暮らしていた場所が元宇品でした
私は産まれた時から高校生になるまで
元宇品で時間を過ごす事が多く
まだ水族館や造船所があった頃で
海も綺麗でした元宇品に行き来する道すがら
交番があったのはよく覚えています
そこに交番がある事が
子供心に安心感を与える存在に感じていましたそして元宇品小学校のすぐ側に
先祖の墓があり
小さな頃から今も参りに行っています祖母は元宇品に来る前は呉に住んでいて
祖父は呉の海軍工廠で働いていて
最後は戦争に招集されて戦死したそうです祖母は歌が好きな人で
よく歌って聞かせてくれました
そんな影響で私も物心ついた頃から歌は好きでしたバトンの練習から帰ると
ラジオを聴きながら宿題をするのが日課でしたそんなある日 父がアイワのカセットデッキを買って来てくれて
大喜びの私は より一層ラジオを聴いて過ごすようになり
柏村武昭のサテライトナンバーワンなど
RCCラジオをよく聴いていましたそしたら これまでに聴いた事のないイントロにゾクゾクして
慌ててカセットの録音ボタンを押した事を
今でもよく覚えています次に歌声とメロディが飛び込んできて
当時中学生の私が初めて哀愁というものを感じて
その世界に引き込まれたんですまさに一瞬で恋におちた
そんな瞬間でした曲の終わりに
「浜田省吾さんの愛のかけひきでした」
と紹介があり
そこで初めて浜田さんを知りましたテープが擦り切れるんじゃないかと思うくらい
何回も何回も再生して聴いた
初めての浜田さんの曲が
愛のかけひきだったのですこの瞬間に出会わなかったら
今の時分は居ない
そう言っても過言ではないくらい
この時に出会った 愛のかけひき
私にはかけがえの無い曲なのです浜田省吾とはどういう人なのか
今のようにネットで調べる手段もなくおそらく当時中国新聞の片隅にプロフィール的なものが載っていたようにおもいます
それを一読してびっくりしたのが
自分と同じ広島県出身である事と
更に驚いたのが
自分と同じ誕生日だった
という
私には奇跡みたいな事柄でしたカセットデッキを買ってくれた父は
今年1月に癌で亡くなりました痛みから解かれて
去っていった ひとりきりほんとにそんな最期でした
その父も亡くなる数日前
私の影響で 浜田省吾のファンだ
と 言って微笑んでいましたそれを見た母も嬉しそうに父を眺めていました
もちろん母も浜田さんの大ファンですそんなふたりを見て
私はつかの間穏やかな幸せな時間を過ごせたのです今では私の主人 息子 娘
娘のお婿さんまでも
そして親友も皆 浜田省吾さんをまるでじぶんの身内に感じでいるくらい
なくてはならない存在になっていますわたしを取り巻く人達によって
自分は生かされていると
この歳になって
しみじみ感じながら
日々を過ごしています
そしてそこには必ず
浜田さんが居るのです浜田さんの曲でどれが一番好き なんて
決めれるはずもありませんどの曲もこれまでの人生を彩ってくれました
そのはじまりだったのが
愛のかけひきです
板敷 直子
2024/08/06
当時私は中学2年生でした
その日常と言えば
学校帰りにバトントワリングの練習に汗を流し
家に帰ればラジオを聴きながら宿題をする
時々祖母の家に遊びに行ったりして過ごす
そんな日々を過ごしていました
青少年センター
そこがバトントワリングの練習場でした
練習が終わると決まって
ホールに移動して
ステージ上で繰り広げられる
吹奏楽の人達の練習だったり
バンドの人達の演奏だったり
客席で聴いて一息ついて帰る
それが青少年センターでのルーティーンでした
そこからバス停までの帰り道
すぐ側にある市民球場から
時に聞こえてくる歓声
あっ 山本浩二がホームラン打ったんかな
今すぐ球場に入ってゲームを觀たいな
なんて思いながら
片手に学生鞄
片手でバトンをクルクル回しながら
夜の街をバス停まで歩いたものでした
私の祖母が最後に暮らしていた場所が元宇品でした
私は産まれた時から高校生になるまで
元宇品で時間を過ごす事が多く
まだ水族館や造船所があった頃で
海も綺麗でした
元宇品に行き来する道すがら
交番があったのはよく覚えています
そこに交番がある事が
子供心に安心感を与える存在に感じていました
そして元宇品小学校のすぐ側に
先祖の墓があり
小さな頃から今も参りに行っています
祖母は元宇品に来る前は呉に住んでいて
祖父は呉の海軍工廠で働いていて
最後は戦争に招集されて戦死したそうです
祖母は歌が好きな人で
よく歌って聞かせてくれました
そんな影響で私も物心ついた頃から歌は好きでした
バトンの練習から帰ると
ラジオを聴きながら宿題をするのが日課でした
そんなある日 父がアイワのカセットデッキを買って来てくれて
大喜びの私は より一層ラジオを聴いて過ごすようになり
柏村武昭のサテライトナンバーワンなど
RCCラジオをよく聴いていました
そしたら これまでに聴いた事のないイントロにゾクゾクして
慌ててカセットの録音ボタンを押した事を
今でもよく覚えています
次に歌声とメロディが飛び込んできて
当時中学生の私が初めて哀愁というものを感じて
その世界に引き込まれたんです
まさに一瞬で恋におちた
そんな瞬間でした
曲の終わりに
「浜田省吾さんの愛のかけひきでした」
と紹介があり
そこで初めて浜田さんを知りました
テープが擦り切れるんじゃないかと思うくらい
何回も何回も再生して聴いた
初めての浜田さんの曲が
愛のかけひきだったのです
この瞬間に出会わなかったら
今の時分は居ない
そう言っても過言ではないくらい
この時に出会った 愛のかけひき
私にはかけがえの無い曲なのです
浜田省吾とはどういう人なのか
今のようにネットで調べる手段もなく
おそらく当時中国新聞の片隅にプロフィール的なものが載っていたようにおもいます
それを一読してびっくりしたのが
自分と同じ広島県出身である事と
更に驚いたのが
自分と同じ誕生日だった
という
私には奇跡みたいな事柄でした
カセットデッキを買ってくれた父は
今年1月に癌で亡くなりました
痛みから解かれて
去っていった ひとりきり
ほんとにそんな最期でした
その父も亡くなる数日前
私の影響で 浜田省吾のファンだ
と 言って微笑んでいました
それを見た母も嬉しそうに父を眺めていました
もちろん母も浜田さんの大ファンです
そんなふたりを見て
私はつかの間穏やかな幸せな時間を過ごせたのです
今では私の主人 息子 娘
娘のお婿さんまでも
そして親友も
皆 浜田省吾さんをまるでじぶんの身内に感じでいるくらい
なくてはならない存在になっています
わたしを取り巻く人達によって
自分は生かされていると
この歳になって
しみじみ感じながら
日々を過ごしています
そしてそこには必ず
浜田さんが居るのです
浜田さんの曲でどれが一番好き なんて
決めれるはずもありません
どの曲もこれまでの人生を彩ってくれました
そのはじまりだったのが
愛のかけひきです