A PLACE IN THE SUN

浜田省吾

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ペンとパン

A PLACE IN THE SUN この歌の思いでは、何と言っても88’年の渚園。 この歌を聞く度にあの日の事を思い出す。あの日、いつ何をしていたか、どんな会話をしていたか、何を考えていたか。隣にいた君の横顔も今も鮮明に思い出せる。 海の中道、横浜スタジアムの A PLACE IN THE SUNには行かなかった。今思えば、海の中道、横浜スタジアムも行けば行けたのに。なぜ行かなかったのか・・・ そのこともあり、「渚園は絶対に行くんだ」という思いで、当日出勤日だった会社から有休を取って参加した。 その年の5月GW 渚園の下見に出かけた。 広い芝生広場、周囲は浜名湖 風が気持ち良い。 芝生に座って、カセットテープの曲をかけてコンサート当日の事を思った。この芝生を埋める人が全国から集まるのか。どんな日になるのか。 この夏は雨の日が多く寒かった。前日の夜遅くまでに雨が降っていたと記憶する。 当日 浜松駅の前のうなぎ屋で昼ご飯を取っていた時、もう一つのハマショー 浜松商業が甲子園で(準決勝だった気がするが)戦っていた。負けていたのを覚えている。 当日のコンサートは素晴らしかった。始まりから終わりまで。総てが。今思い出しても。 参加して良かった。心からそう思う。あの日の事は永遠の思い出となった。 「伝説のライブ」という言われ方で表現される渚園。 確かにそうだが、素晴らしさと同時に思い出す事がある。 DVDにも、映画にも映っていない風景。 参加した人なら見た(はずの)風景だけど、コンサートの後のJR弁天島駅までの帰り道 道や民家の塀の上に置かれた(捨てられた)空き缶、空き缶の山。 素晴らしかったコンサート 余韻が半減してしまった。 あれから、何度か渚園へ出かけた。 その後渚園は、あの日の地形から少しかわってしまった。 違う「聖地」になってしまった。 不思議な事に、その後、渚園へ車で数十分で行けるところに住むことになった。

ホルン父さん

初めて彼女と浜田省吾さんのコンサートに行ったのが1988年の渚園。彼女は浜田省吾のコンサートは初めてでJBOYのアルバムしか聞いたことがなく電車の中でウォークマンで他の楽曲を勉強していた。暑い中、青い空のもと白い布の中から聞こえてきたA PLACE IN THE SUN。印象的なイントロが始まり幕が上がったら彼女も大興奮で一発で大ファンになった。知らない曲もいくつかあったが大満足していた。最終電車に乗るため最後の曲の前に後ろ髪を引かれる思いで会場を後にした。青春18切符で私の生まれ故郷の広島へと向った。思い出の一曲です。その後1991年の結婚式の入場曲に使いました。あれから35年、映画館で二人で渚園コンサートを見た。懐かしく見ていたら妻から一言。このコンサート行っていなかったら結婚していなかったかもって。本当に二人にとって大きな出来事だったとあらためて気付かされた。思い出の曲A PLACE IN THE SUN

かずや

初めて、浜田さんに出会ったのが、海の中道海浜公園の野外ライブでした。 1曲目のこの曲を聴いていよいよ始まるコンサートに興奮しました。