反抗期

浜田省吾

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ユキシン

想い出の一曲と言われても困る、というのがみんなの本音なんじゃないかと思います。かくいう私もその一人。或いは、大好きな曲と想い出の曲は違うのかもしれません。 そんな中、自分の中で一番の想い出の曲と言えば「反抗期」、そうHome Boundの中の一曲、あの反抗期です。 1986年、浜田省吾ファンにとっては大事な年。 あの年、私はまだ二十歳で社会人一年生でした。入社して半年も過ぎた10月最初の土曜日、夕方には終わるという予定で私は休日出勤を命じられました。ところがどうでしょう。13時作業開始を命じた上司が一向に出社して来ないのです。その日の私は業務終了時間を特に気にする必要がありました。1986年10月4日の土曜日、そう浜田省吾・代々木オリンピックプール公演2日目その日でした。上司は来ません、時計を見ます。上司は来ません、時計を見ます。上司は…。 当時付き合っていた彼女と現地で待ち合わせる約束をしていたので余計に時間が気になります。当然のことながらその時代、連絡を取る術は無く時間はただ過ぎるばかりでした。 上司が来たのは15時頃だったと思います。その後、どんな仕事をしたのかは今となっては思い出せません。開演時間をとっくに過ぎた業務終了の合図。私はまさに脱兎の如く事務所を飛び出し会場を目指したことだけは覚えています。走れ、急げ、最寄り駅である原宿駅の改札を抜け、今もある会場前の歩道橋を渡っている時、会場の大きな屋根から歓声と曲が聞こえてきました。 この曲は…「反抗期」だ。 反抗期でした。なぜかこのテキストを書いているだけで、その瞬間が蘇りなんだか涙が出てきそうになります。なんなんでしょうね。この気持ちは。本当に音漏れの歓声と曲が聞こえて来たのか疑わしくもありますが、紛れもなく聞こえて来たのです。 その後、会場内で一人待っていた彼女と残りの曲を最後まで楽しむことができたのですが、なぜかそんな会場内で聴いた曲たちよりも自分にとってのオープニング曲だったあの反抗期のことを忘れることができません。 あれから時が過ぎ、いつしか自分が作業予定を立てる立場になりました。あの土曜日の経験を元にまずメンバーに個人の予定を聞くことにしています。どうしても休みたい日はないか、早く帰りたい日はないか。いつも上手く調整できるとは限りません。でも冠婚葬祭のような大きな予定でなくても本人にとってはとても大事な約束の日が、約束の時間があるはずなんです。あの時の私のように。 ここからは余談です。 あの時演奏した楽曲を今年の有明アリーナでも何曲か聞くことができました。2024年1月19日の金曜日、平日でしたが私は午後休暇を堂々?と取り余裕を持って会場入りしました。今回は反抗期の演奏はありませんでしたが、ライブに参加する度にあの秋の夜空に響いた歓声と浜田省吾の声をいつもいつも想い出すのです。

榎並麻紀子

高3に初めての彼ができました。 彼は、浜田省吾さんのファンで 聞いてみて、と、LPをプレゼントしてくれました。 私も一気に恋に落ちました。 初ライブもふたりで浜田省吾さん。 そして高校最後の文化祭 彼の友人に彼が体育館で待ってると言われて行きましたが見つけられない。 舞台ではバンドの演奏が 次は同じクラスの音楽天才君のバンド 彼と私の友人です。 ボーカルは深々と帽子をかぶっていて 顔が見えない。 演奏が始まると、なんと、浜田省吾さんの反抗期!ドキドキワクワク ボストンバックに…音外れてる。 みんな大笑いです。 照れた顔は彼でした。 みんなは私を見つけてさらに大笑い。 42年前の幸せな忘れられない時間です。