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昔付き合ってた彼女がイブの夜
アメリカに旅立ちました。
その後消息はわかりません。
元気なのだろうか?
龍
2024/08/01
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子供が生まれた日の夜、ほやほやの赤ちゃんを抱っこして、病室で歌いかけました。なので、子供が生まれて初めて聞いた歌です。面会時間外だったので、涙目のパパは居ませんでしたが……笑
翔子
2024/08/01
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あれは息子小学校5年生、塾の送りで車の中。いつもの様に流れる省吾のアルバム。
I am a father が終わる頃、君がポツリと言った。「母さん、僕は今少年だけど、いつか父親になるんだね。」って。「そうだね。何年後かな、その時にこの曲を聴いたらどんな思いになるだろうね。」って会話した。それから月日は流れ、親元を離れ都会で仕事をする君が、時々雑踏の中から流れる省吾の曲を母さん、浜田省吾が流れていたよと動画で送ってくれる便りが時々あり、そんな君も結婚し、現在は4歳、2歳の男の子の父親。今君はこの曲をどんな思いで聴くのだろう。ポツリと言った言葉はきっと忘れているかもしれないけれど、親にはとても忘れられ無い言葉です。いつか雑踏の中からI am afatherが聴こえる時が来るだろう、いつになるかわからないけれど、その時は懐かしい気持ちになるのだろうか…。この曲を聴く度に思い出す私の心のアルバムの1ページです。
sho
2024/08/01
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19の時、ある街のアーケード通りの一角にあったレコード店の入口ガラスドアに貼ってあった宣伝用プロミスドランドのポスターを見てカッコいいなと思って本格的にカセットテープをすりきれるほど聴いたのを懐かしく思っています。今でも大好きでツアーには参加しています。
ひろんA
2024/08/01
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二十代の頃、役所の下請けの会社の事務アルバイトで、友人と働いていました
いろんなセクションがあり、大きなフロアで、まだ、パソコン等ない時代でした。
沢山の社員さんがいらっしゃって、本当に偶然なんですが、大家(おおいえ)さん、碇(いかり)さんという方がいらっしゃり、省吾好きの私たちは、昼休みに、ウォークマンでこの曲を聴きなから、オーイエーと、叫びながら笑い、
憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
でも、笑い転げていました。
御本人さんが、ロックからはかけ離れている方々なので、輪をかけて若い頃の私たちにはおかしくて。
歌の内容は、ゲロニカがバックになるほどの重い歌なのは、わかってはいますが、若気の楽しい時間でした。
エミリン
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
25歳の頃に転勤で仙台にいる頃 孤独な日々でした。そんな時 営業車のラジオから流れてきた片想いが心に染みて浜田省吾さんの歌が好きになりました。あれから40年…