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18の時に出会って4人で海までドライブした夏
これが浜田省吾だよ!帰るまでに
覚えてね!
海辺に着いた頃にはサビまで覚えて
帰る時には車内で一緒に歌った、全てが楽しかった19になって2人でドライブした時
叶わぬ恋と知って身を引いた
涙が枯れるほど泣いた冬40の春になって突然の再開
歳をとった自分が恥ずかしかった
それでも笑顔で会えたことが嬉しくていつかまた逢える日が来た時
君に恥じない日々
送ることを誓おう青空にこのフレーズを胸にどれだけの
日々が過ぎたでしょう56の夏
お元気ですか?
私は元気で省吾さんを歌ってます
省吾さんを教えてくれて心からありがとう
みちく
2024/08/16
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中1の秋にラジオから流れて来た曲を初めて聴いた時、涙が止まらなかった……
ずーっと自分が居てイイ場所を探していて……
学校でも家に居ても……ホッと出来る時が無くて
苦しくて……どうすればイイのかも分からなくて…
でも、この曲を聴いて、自分だけでなく皆、居場所を探して生きているんだから……だから、私も探しながら生きて行けばイイんだ!!
いつかきっと……
そう自分に言い聞かせて、あの時を乗り越えたのを覚えています……
もう子
2024/08/16
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浜田省吾に興味持ったきっかけは初めての彼女が出来初めてのデ−トで車で聴くための音楽、ア−ティストに悩み当時ギタ−がうまかった友達の家に行き色んなレコードを聴かせてもらい一番気に入ったのがサウンドキャッスルのアルバムで当時18歳でした。
それから省吾のライブに行き結婚をし子供を4人育てあげ家のロ−ンも終わりこれから妻に楽してもらおうとおもってましたが私の愛情が少なかった為お互い別の道を歩む事なりましたが今は省吾の歌を聴きライブに行き楽しく日を楽しみにしながら仕事を頑張ってる日々です。現在57歳、子供も全員結婚し孫7人の独身ジジイです。浜田省吾一途歴もうすぐ40周年です。笑
ツッキー
2024/08/16
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子供が就職に対していまいちやる気が見られず、アルバイト生活。
『やりたい事』と言われても、親としてはこのままで大丈夫かなと焦るばかり。
育て方、私がもっとしっかりしていればと思い詰める時もありました。そんな時、職場でラジオからこの曲が流れてきました。
ああ、そうかと思いました。
私の人生ではなく、子供の人生で、私が苦しいのではなく、子供が向き合う事なんだと。
確かに、大事な時期に何かの手助けが足りない、または手出しが多かったのかもしれません。
けれど、もう過ぎた時間。そしてまた、私は1人で、子供の気持ちはさておき自分が楽になりたい為にあれこれ悩んでしまうのではと思い始めました。
軽快で伸びやかな明るい曲で、ふと、気づけた気がします。あっ、そうだ、ガミガミ言うのをやめて、助けが必要な時に備えようと考え直しました。
よく育ってくれた。これから自分で生きていくのだから、
色んなことがあるに決まっている。
戦えるように、見守ろうと、応援しようと思いました。
私の応援歌かな(笑)晴れて
就職が決まりましたが、これからステップアップしてしていくと宣言している息子です。
カップヌードルミュージアムで省吾さんの似顔絵と曲の歌詞を書いて、息子にプレゼントしました。
お守りがわりです。
『ありがとう、母も楽しんでるね』と笑う息子にぴったりの曲です。
けいこ
2024/08/16
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私と家内がファンになって会員登録したのは
なんと65歳を過ぎてからです
私たち二人は遠距離恋愛で結ばれて結婚しましたが今みたいに携帯電話も無く駅の伝言板の時代でした お互いに手紙のやり取りで気持ちを確かめるしか無く一年半経ち大学を卒業して社会人になってから結婚しました 青の時間にあるように高速道路の渋滞で待ち合わせに間に合わず破局を迎えるなんて今の若者には考えられないことだと思います
便利になる世の中ですが浜田省吾さんの歌詞や曲には時代を超えて愛される何かがあるのだと思います 最後に家内の正直な気持ちは渚園の時に知っておきたかった❗️です
私はカップヌードルのCMの頃から存じ上げていますが今が一番カッコいいと思います
これからも我々の年代の憧れとしてお身体を大切に
ご活躍くださいませ ファンファンファンは初めて二人で福岡会場に行きます 今から凄く楽しみにしております
梅田 誠司
2024/08/16
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
35年前、私はシングルマザーになりました。はっきりとした理由も解らないままにでした。その頃に聞こえてきたのが省吾さんの 片思い でした。その時から私は省吾さんにのめり込んで今日まで1人で頑張って生きてきました!勿論周りの人たちに助けられながらです。省吾さんは私を支えてくれた人の1人です!シングルになった事に未練はないけれど、この曲を聞くといつも涙がでます。