ON THE ROAD

浜田省吾

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ひーちゃん

39年程前 家と駅の往復を自転車で通っていた専門学生。田んぼの真ん中にある舗装された700メートルほどの一本道。毎日学校の宿題に追われ、徹夜の日々、どうしていいか分からず、ましてや将来にも希望を持てず、悶々としていましたが、省吾さんのON THE ROADを口ずさみ(この道の彼方約束されたはずの場所があると信じていきたい もう一度孤独に火をつけて)と大声で歌って家路につきました。この頃は、この歌に励まされて学校に行き、頑張ろうと思わせてくれた、そしてついてこいよ!という省吾さんにずっとファンでいる私がいます。懐かしさと励まされた私の好きな1曲でもあります。(むかし、関西のテレビ番組で風を感じてを歌っている省吾さんに惹かれ、それからのファンです)

tomi

卒業したら省吾さんがいる東京で働くぞ。御茶ノ水駅近くに就職も決まった!親元を離れる不安を感じないようにして、何かいいことがあると願って上京しました。 人を大切にする仕事でした。私はコミュ力に長けている訳でも、スキルも才能もなく…毎日、自分に能力が無い現実に打ちひしがれ、青い電車に乗って帰宅していました。 一人の部屋は気が滅いる程寒々しくて…先輩に怒られたことや今日の失敗を思い出し、胸が凍るような辛い日が続きました。 毎晩、ON THE ROAD “FILMS” を観ました。 ラストこの曲を歌う省吾さんの背中を見て「あたし、まだまだ頑張らなあかんやん」と思い直し、翌日出勤する毎日でした。まさにあのVHSビデオとこの曲は、当時の私のつっかい棒でした。 ちょうどその頃、TVでサミー・デイヴィスJr.さんが「全ての人があなたのやっている事を気に入るとは限らない。が、少なくともあなたは私のために全力を尽くしてくれた、と思ってもらえればそれでいい」という内容を話されていました。そうか、そういうことなのか。あぁ、あの姿なのか…。 あれから35年、同じ仕事を続けています。 辛いことや理不尽なこと、いろんなことがあったけど、私には「この曲とあの背中」があるので今日までなんとかなったし、これからも大丈夫なように感じます。 省吾さん、本当にありがとうございます。 今はDVDで観ています。

総司

高卒でデパートに入社した春、社員寮で同室になった I先輩。先輩は大きなステレオを持っていて「私のレコードどれでも好きなの聞いていいよ」と言ってくれました。自宅ではほとんどクラシックしか聞かなかった私は、ジャケットが一番きれいものを選びました。それが「ON THE ROAD」のLPでした。一曲目の「壁に向かて」から感じたことのない衝撃を受け、すぐに魅了され最後の「ON THE ROAD」で涙が出てきました。 省吾さんのライブ中での語りもとても感動しました。 その後すぐに少ない給料からウォークマンと「オンザロード」のカセットテープも買いました。 どこへ行くのにも持ち歩くようになりました。 あの日からずっと省吾さんのファンです。 60歳になった今もON THE ROADや色々な曲が頭の中では繰り返し流れています。退屈な電車、バス通勤もあっという間です。 省吾さんに出会わせてくれたI先輩と省吾さんに毎日感謝です。 全ての曲がとても大好きです。

もう子

中1の秋にラジオから流れて来た曲を初めて聴いた時、涙が止まらなかった…… ずーっと自分が居てイイ場所を探していて…… 学校でも家に居ても……ホッと出来る時が無くて 苦しくて……どうすればイイのかも分からなくて… でも、この曲を聴いて、自分だけでなく皆、居場所を探して生きているんだから……だから、私も探しながら生きて行けばイイんだ!! いつかきっと…… そう自分に言い聞かせて、あの時を乗り越えたのを覚えています……

kenbo-

初めての社会人となり、研修期間は憧れの渋谷。 東京暮らしを僅かに楽しむ日々。 研修が進むにつれ、同期がどんどん配属が決まる中、地方からただ一人出てきた私は最後の一人に。 遂に上司から話があり、決まった先は広島の火力発電所。 選んでいる場合では無いので、言われるままに配属先で奮闘の日々。 建設現場も初めてなら、イカつい職人とのやり取りにワガママなお客様との交渉。 そして、新人ならではの残業と目まぐるしい毎日でした。 ただ、好きな車だけは持って行っていたので長期休みとなれば、広島から名古屋へくるまての行き来。 帰る時はいつも夜でした。 高速道路を走りながら大阪の吹田に来ると、直線に街路灯が綺麗に並ぶ区間があり、そこに来ると必ず 「ON THE ROAD」を流して自分を鼓舞していました。 そんな生活もやはり無理がたたり、体を壊して転属となりましたが、それでも大事な思い出です。 生活の場が「竹原市」と、浜田省吾さんの出身地だった事も、思い出深いものとなりました。 今もこな曲を聴くと必ず思い出す自分の歴史の一部です。 当時お世話になった方々、淡く恋した親方の娘さん。 皆んな元気にしてるかなぁ。 と、思いながら。