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東京の阿佐ヶ谷のボロアパートで一人浪人生活を送っていた年の9月4日にアルバム「J. BOY」が発売されました。欲しくたまらないアルバムでしたが、貧乏浪人生には高嶺の花でした。そんなある日、秋田大学に進学した友人から小包が届き、その中に「J.BOY」が入っていたのです。友情のありがたさに感謝したのはもちろん、小躍りして叫びそうになったことを覚えています。発売日の9月4日は自分の19歳の誕生日でした。それを覚えていた友人からのプレゼントだったのです。しかし、浪人生活を送るアパートにはレコードプレイヤーがなく聴くことができずにいました。収録曲のタイトルを眺め、こんな曲なのかなと思いを巡らす日々の中、19歳になった自分と同じ「19のままさ」という一番気になったタイトル曲がラジオから流れてきたのを聴き、浜田省吾さんが自分のために書き下ろしたアルバムだと勝手に思い込んだことを覚えています。その後も、省吾さんの出す曲が自分の人生の節目節目にピッタリと当てはまり、ファン歴が40年を越えました。
これからもご活躍を期待します。そして、コンサートでお会いできる日を楽しみにしています。
ゆた
2024/08/05
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17歳の単身性格が始まった頃、某FMラジオから省吾さんのジョイントコンサートの歌声が聞こえてきた。
その際にギターで始まるイントロが流れえてきた。もうそのイントロで全身に稲妻が走った。すぐにそのラジカセを録音して何度も何度も聞いて歌詞を書き留めた。直ぐにレーコードショップに走り、店員さんに「浜田省吾さんのこの歌詞のある曲が欲しい」といってアルバムを買って何度も何度も聴いた 。今ではオリジナルのこの曲が聞けないのがとても残念。でもこの曲はあの17歳からずっと大切に聴いている曲。アルバムとシングルでは違うそんなことすら知らずいつも酔いしれています
省吾さん…オリジナル聞かせてね
あの時に戻れるるタイムカプセルを私達にください
Toshi_Yuki
2024/08/05
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小学生の頃、父母が不仲で毎日毎日、母親の言うことばかり聞いて顔色をうかがっていた私。
ある日保健の先生にまで母親が家庭のことや私自身の主張がないと相談しに行った時「このまま保健室の棚でお人形さんと一緒に座ってようか?」と言われた。
当時、テレビのカップ麺のCM流れていた曲があまりに響いてきた時、音楽番組で浜田省吾さんが歌っていた曲を聞いて「この曲だ!」とわがままを言ってレコードを買ってもらった。
「もっと自由でいいんだ...」って子どもながらに考えて行動するようになれた。
友だちと自転車に乗って少し離れたところまで遊びに行ったり、勉強したり、自分からスポーツクラブまで決めてきて自分自身で通えるようにもなった。
この曲を聞かなければ、今の私はいなかった。
それからの私は失敗もしたけれど、ここに自由でいます。いろいろな思いやいろいろなことがあるけれど
やさしく受けとめられる心を持たせてくれた浜田省吾さんのたくさんの曲に感謝しています。
kekoz
2024/08/05
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
高校最後の春休みに、付き合い始めた彼氏。私は東京に就職が決まっていて、彼は地元に就職が決まっていた。春からは遠距離恋愛になることは考えてもいなかった。ある日、学校帰りに彼の部屋でみんなでたむろしていた時に、彼の友達から、なおみちゃん、春からは東京に行くんだからこの曲は聞いておかないとな。とON THE ROADのライブLPから、「東京」を聞かせてくれた。心の底から絞り出したような歌詞と歌声は、衝撃だった。その時から、ハマショーの 楽曲にはまり、心の支えになって行った。遠距離恋愛の彼氏とは、私が東京に勤めてから、最初のゴールデンウィークに帰省した時に終わってしまった。私は東京で7年過ごし、結婚はしたが、10年経って一人になった。そして田舎に戻り、新たな人生を歩いてきた。東日本大震災後のライブで、あの異常な雰囲気の中で、「家路」を聞いた時は涙が止まらず号泣した。ハマショーの歌のメッセージ性に改めて感激しました。これからも生活の端々でハマショーの楽曲は私にメッセージを送ってくれるだろう。