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1980年代初頭、洋楽のテレビ番組が人気となり、ニュー・ミュージックが流行り、アニメや角川映画がヒット、その主題歌が注目されるレコード全盛時代でした。そんな頃、豪華なステレオが家にあるのが夢だった母の念願が叶ってステレオがやってきました。しかし、高度成長期時代の多忙な母は、ゆっくり音楽を聴く時間など有りませんでした。母が家に居ない淋しさを音楽が癒やしてくれたのです、そのステレオに生涯感謝し続けています。
そのステレオで色々なFMラジオを聴きました。当時のお気に入りの番組は、NHKFM18:00からのローカルなリクエスト番組でした。この番組で初めて葉書を出してリクエストをした曲を流してもらえたりしました。
そして、色々な曲を教えてもらいました。
エアチェックをしてカセットテープに録音するのです。その番組で、浜田省吾さんの「ラストショー」がある時、流れました。🎶稲妻が私の身体を駆け抜けました!!初めて聴くような切ない曲、そして男性なのに甘い声?・・なんだ?この心を揺さぶるような曲は!?ちょうど、上の姉が友達からカセットレコーダーを借りてきていたので、そのカセットレコーダーを借りて、眠る前、布団の中で、その曲を何度も何度もリピートをして聴きました。それが、浜田省吾さんの曲との出逢いでした。
その夜、何度も何度も繰り返し聴きました。
プラスティックで出来たブルーのちびっこい、まるっこいカセットレコーダー。
今覚えば、浜田省吾さんが初めて武道館でコンサートをした頃のことと思います。
このNHKの番組でリクエストをして下さった方に、感謝をしたいです!
もしかしたら、この機会に、読んでもらえるかな?
リクエスト番組って素敵ですよね!!
今思えば、ラスト・ショーは、さよならの曲なのに・・出逢いの曲となったラスト・ショー
今でも、アルバムI was born1952のラスト・ショーの始めのイントロを聴くと、その時、その頃の胸をギュッ!と掴まれる感覚を感じます。
そして、お小遣いを貯めて初めて行ったコンサート、端から端へ駆け回る浜田さんに感動しました!!
その頃、レコードを買えば、浜田さんのサインがもらえたけれど、そんなお金はもっておらず、黒に金の文字で浜田省吾と書いてあるキーホルダーを頑張って買った思い出があります!懐かしいなー!
今でも、走り続けてくださっている浜田さんに感謝です!
。◕‿◕。
kei☆
2024/08/03
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40年前、宮崎から新潟に転勤なり当時付き合っていた奥さんと遠距離恋愛になってしまいました。アパートのあった長岡から勤め先の東三条への電車に揺られながら聞いてました。「どこへ行くのか 何をしてるのか時々 わからなくなるよ〜。 もう帰ろう みんな 投げ捨てて〜。」 何時も聴きながら涙を流してました。
さとちゃん
2024/08/03
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
まだ異性と交際したことがない頃でした。メロディ−が頭から離れなかった。大人になればこの歌詞が理解できるのか、恋愛ってどんなんだろうと、想像してはときめいていました。数年後、ほぼ歌詞通りの恋に落ちました。その人とは結ばれませんでした。
現在は、運良く平和な家庭を持っています。この曲を聴くと彼を思い出し、今でも息もつけない気持ちになります。もはや私の人生の一部となった曲です。一度でいいからLIVEで聴きたいです。