悲しみの岸辺

浜田省吾

楽曲を聴く

投稿されるユーザーについては、利用規約に同意したものとみなします

みゆき

38年前、当時付き合っていた彼に避けられ始めので、ちゃんと別れようと会い ズルい私は言いにくそうにしていた彼に別れようと言わせ、彼の車を降り自分の車にエンジンをかけた時に、カーステから もし君をなくしたらこの旅も終わりさ と悲しみの岸辺が… 絵に描いたように(笑)涙がだぁーと 好きだったのに、上手く会話も出来ず きっとカッコつけたい、嫌われたくないって、若かったなぁ 何十年も悲しみの岸辺は聴くのが怖かったです(笑) そして30年後、彼とコンビニで偶然再会 お互い気付かないフリですれ違い あぁ、石山くんって声掛ければ良かったなぁと後悔してます 今の私は38年前は大嫌いだった(笑)人と結婚してもう30年 2人で浜田さんのライブに行く仲良し?夫婦です 今でも彼は元気なのかなと思ったりします

pockey

ささいなことで夫婦喧嘩になるたびに、愛して憎み合い、互いに諦めて、ふたりの絆は途切れかけているけど、かといって片方を失ってははばたけず、ほんとの気持ち、大切なヒトであることを気づかせられます。

佳初

深い失意と心身の疲労感の真っ只中にいた時にまだまだこれからも続く人生を明るく生きていくために励みになる好きなことをしようと思い至りInstagram投稿にチャレンジすることにしました。 省吾さんの楽曲の歌詞を得意な書道で表現しファンのみなさんや書道愛好家と感動を分かち合うことができれば嬉しいしもっとたくさんの人に省吾さんの楽曲を詳しく紹介したいと思いました。 さて、何から書こうかな?と考えたときに1番に思いついた曲が《悲しみの岸辺》でした。 この題名の通り今わたしはまさに《悲しみの岸辺》に打ち上げられてしまい歌詞にあるように「自分にどこか欠けたところがあるのかな?強さなのか弱さなのかわからないけれど、、、」という心境でした。 細かな構想はないけれど芸術的に練って書くのではなく、素直に自分の字で読みやすく書くことにして動きも付けたいなと思いました。 できた投稿は不慣れなことも手伝い完成度は低いけれどいいねをくださる方やコメント下さる方もいて心が弾み、これを続けていこうと顔を上げました。 《悲しみの岸辺》は自分1人ではどうしようもない深い悲しみが打ち上げられるという表現により更に身動きの取れない無力感を重ねてきます。 漂うように生きていくしかないときに包み込んでくれる海や砂浜も感じることにより安心感も芽生えるという不思議な楽曲です。 その後も色々な歌詞を書いています。 明るい曲も書いてフォロワーのみなさんと楽しんでいる今日この頃です。 今度はもっとクオリティ高い《悲しみの岸辺》を披露したいと思っています。

kenken

1987年2月、J-Boyツアーのコンサートが終わり会場の外に出ると彼女が走ってきて「当日券で入ったの」と言った。僕は男友達5人と来ていて、いつもコンサート後は皆でファミレスで今日のコンサートの事を熱く語りあうのだが、この日は仲間に詫びて彼女を連れて帰った。この時、ずっと彼女は僕とコンサートに行きたかったのだと知った。9ヶ月後、彼女は「恋愛と結婚は別だと考えるようになりました。さようなら」の手紙と共に僕から離れていきました。中学3年生から8年間も一緒にいたのにね。

井上正樹

高校3年生の時、片思いだった彼女に思いきって声をかけて付き合うようになり、初めての彼女だったので、楽しい時を過ごしました。卒業すると、それぞれの就職先の忙しい日々を過ごすことが多く、会う日が少なくなり、付き合って1年半が経った頃、いつものように喫茶店で待ち合わせした時、いきなり貯めてきた結婚資金と婚約指輪を返され「なんで?」と聞いても「別れましょう」と返事するだけで、何が何でかわからないで別れました。その時にJ-BOYのアルバムが出てきて、何度もこの曲を聴きながら泣き崩れていました。今でもこの曲を聴くと19のままさです。