君に会うまでは

浜田省吾

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クラッシャージョウ

大学4年卒業前の2月 付き合っていた彼女はエレベーターガール 会える時間はいつも彼女の仕事帰り 毎週金曜日、彼女の仕事が終わる決まった時間に待ち合わせ、3時間のデート。毎回、終電で別れる繰り返し。 その日だけは違っていた。 いつも遅れてくる彼女が、いつもの場所で待っている。 いつもと違う笑顔と… いつもと違う髪型で… 「髪 切っちゃった」と… 「今日 失恋するんだ」 俺も今日が最後と決めていて、別れを伝えるつもりだった。一緒に俺の田舎に来てとは言えずに。 変わらず、食事をして、酒飲んで、時間を確認すると 彼女は、俺が誕生日にプレゼントした腕時計をしていなかった。「親に言ってあるから今日はいいの」 翌朝 いつもは、俺が見送るが、その日は、彼女がホームで「夢や希望があるっていいね」と言い残し、俺を送ってくれた。35年前になるなあー。

星の使者

東京と青森の遠距離でのお付き合い 冬の青森で久しぶりのデート 通りから少し外れたおしゃれなお店で、慣れないお酒も少し飲んで、あっという間に終電の時間 店から出たら降ったばかりの雪が結構積もっていた 自然に寄り添い、彼は自分のコートのポケットに私の手を入れて握ってくれた 振り返ると夜道の新雪に二人の足跡だけ 私の中には「君に会うまでは」が流れていた 30年以上経った今も「君に会うまでは」を聴くとよみがえる大切な情景 ありがとう省吾さん。ありがとう旦那。

チャーミフォー

今の奥さんに出会うまで、浜田省吾さんは、名前ぐらいしか知らなかった頃に、その当時オートバイが好きだった僕は、その月刊誌の中にある文通コーナーで知り合ったその彼女に、浜田省吾さんの良さを教えられ その曲数多ある曲の中で一番好きな曲が、君に会うまでは、なんです。本当に彼女にでまでは何の希望も無く なんの取り柄もない僕が彼女と浜田省吾さんの曲で救われました。思い出と言うよりバイブルであり、人生を左右した曲なのです。🙇🙇🙇

カズタロウ

歌詞のとおり 愛した事など一度も無かった、こうして君に会うまでは。 大学生時代の初恋の思い出です。

赤いダッフルコート

まだ歌舞伎町に噴水があった大学時代 新宿でコンパがあると酔っ払った誰かがよく噴水に飛び込んだ 大学2年の秋、いつものようにそんな誰かを見てみんなで笑っていたら、まだ友達だった彼がひどく酔っ払ってポケットから小さく折り畳んだ紙を「これ、あげる」と私に差し出した 周りの冷やかしを振り払いながら「いいからもらって」と手を突き出し続けた 受け取ると、それは手汗でボロボロになって所々文字が擦り切れた『sand castle』のカセットの歌詞カードだった 「君に会うまでは」の歌詞が1番上に折られていた それから押されて押されて、約1年後彼は友達から恋人になった 京王線の彼の部屋に2人で帰る時、当時まだ東南口にあった古い石段の上からよく一緒に夜の新宿の街を眺めた そんな時いつもあの曲が私達の間に流れていたような気がする 小さな部屋の電気のスイッチの位置も、初めてスーツで就職の面接に行く前に繋いだ手が冷たかったことも、卒論の資料で散らかったコタツの上も、文字が擦り切れたあの曲の歌詞カードも、今でもみんな覚えている 社会に出て遠距離になって私から別れを切り出して、でも最後どうしてもお互いに「さようなら」と言えず「じゃあ、また」と言って別れて30年以上 ずっとひとりで浜省を聴いていた 誰とも一緒に聴きたくなかった 去年、まだ彼と友達だった頃みんなで一緒に行った「渚園」が映画になった 8月20日、あの街で映画を観た 今まで記憶の中にしかなかった19歳だった私と20歳の彼が映像になって目の前に現れたような気がして涙が止まらなかった 映画の後、あの噴水があった広場に立ってみた ビルの間から夕日が広場を照らしていた ようやく言えなかった「さよなら」がやっと言えたような気がした あなたはどこであの日の私達を観ましたか 今も浜省を聴いていますか 私は今幸せです あなたもどうか、どうかお元気で