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20代前半、仕事にも恋にもイライラしていたあの頃を懐かしく思い出します。
私の中では大好きなロックンロールナンバーです!
efu
2024/08/02
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「この唄は家族の歌です」と言うことで娘の結婚式で親族代表の挨拶の時にサプライズで歌いました。
義理の息子は生まれた時から父親がおらずしかししっかりとした優しい男です。「これからは優しやだけでなく強さも必要だぞ」との思いを込めて歌いました。
途中で実の息子のコーラスも加わり娘夫婦も大喜び(大笑い?)でした。
息子夫婦、娘夫婦ともに子宝にも恵まれ楽しく生活できてます。
門前正史
2024/08/02
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15歳の私にとってはステージは憧れの響きがいっぱいの憧れの場所。いつかそんなステージに立てることができたらうれしいなと憧れを感じながら聞いていた曲です。
町史さんたちのコーラスも相まって、省吾さんたちのバンド仲間がステージを終えた後の心地よい疲れとともに歓談しあう様子をイメージできる楽曲です。
その後、高校最後の文化祭で、裏方としてのステージに立つことができ、55歳にして初めて小さな小さなステージでボーカルとして立つことができました。その時折で省吾さんの「ミス・ロンリー・ハート」を懐かしく思い出していたのでした。
炭村紀子
2024/08/02
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
とある私立高校の野球部監督をしていたんですが学校から監督交代を言い渡されました。いろんなものを犠牲にしてこのチームなら甲子園に行けると頑張っていただけに『どうして…?』と落ち込みました。
最後の夏の大会で敗れ甲子園という夢叶わなかった日、浜田省吾の大ファンの妻が聴かせてくれたのがこの曲です。
プライベートの時間がほとんどなくまともなデートもできなかったのに結婚をして支えてくれました。腰や膝が痛み歩けなくなり心配をかけたこともありました。子供ができても子育ては任せっぱなしホントにダメな男だったと思います。最後だから『勝たなきゃいけない!』それしかみえていなくてその目標を失ったときにこの曲を聴き『ただ野球が好きなだけ』のフレーズ。
一番大事なことってこれなのにって痛感させられました。
あれから27年、今は高校に創部された女子野球部の指導をしています。
『ただ野球が好きなだけ』その思いをひしひしと感じながら自らも『ただ野球が好きなだけ』老体にムチ打ちグラウンドに向かっています。
妻はこの曲はあなたのテーマソングだね!とずーっと応援して支えてくれています。