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55歳.男です
小学生時代、東京からウチのイナカに転校してきた彼は、スラッとした体型にいつもショートパンツ姿で、洗練された容姿に見えた
早々にクラスの男子とも仲良くなり、「東京から来た」という肩書き(?)もあって憧れのような存在になっていったある時彼が「ウチに遊びにおいでよ」と皆を誘い、僕も皆と彼の家に行った
優しそうなお母さんに迎えられ、おやつとジュースを頂き、彼の部屋で楽しく過ごした彼が「この曲知ってる?浜田省吾」と「風を感じて」のシングルレコードを取り出した
「知ってる!ヤングおー!おー!に出てた」
「聴きたい!聴きたい!」
と僕らは言い、彼はレコードをかけてくれた聴くうちに盛り上がり、レコードを何度もリピートして、僕らは省吾に合わせて歌った、何度も何度も
それからしばらくして、「転勤族」だった彼はまたウチのクラスから転校していった、風のように
普通の子供の他愛もない一日の出来事ですが、小学生時代の思い出です
らっきー
2024/08/02
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2015年12月29日、予定日よりも2週間も早く陣痛が…28日の夜から弟がiPodに入れてくれた浜田さんの沢山の曲をウキウキしながら聞いていたら興奮して眠れなくなり、日付が変わったと思ったら…まさかの陣痛開始!経験したことのない痛みに不安と緊張でいっぱいだった私。陣痛中、繰り返し聞いていたのがハッピー・バースデイソングでした。これからどのくらいの痛みが来るのか…これ以上の痛みがくるのか?と、不安でいっぱいだった私を浜田さんの優しく暖かい歌声が、私を冷静にさせてくれました。頑張っているのは赤ちゃんも一緒!これから赤ちゃんに会えるんだ!そんな強く優しい気持ちにさせてくれた思い出の曲です。予定日より2週間も早い突然の陣痛にはビックリしましたが、浜田さんと同じ誕生日に出産出来て嬉しかったです。あまりにも突然すぎて、パパの立ち合いは叶いませんでしたが、浜田さんファンの母に立ち合いしてもらい無事に幸せな瞬間を迎えることが出来ました。
第二子妊娠時には、浜田さんの曲を聴くと陣痛が起こるという私の中でのジンクスを信じ…この日に産みたい!という日にハッピー・バースデイソングを聴くと…あら不思議!陣痛が…!無事にパパが立ち合い可能な休みの日に出産する事が出来ました。第二子の時も浜田さんの歌声を聴きながら幸せな瞬間を迎えることが出来ました。
母の影響で浜田さんの大ファンな私。お腹の中から聴いていたそうなので…ファン歴38年(笑)人生の節目節目で浜田さんの歌に励まされ、癒され、今の私があります。
今、8歳と6歳になった私の子ども達…無事に、浜田さんの曲をノリノリで口ずさむようになりました(笑)代々、受け継がれていくといいなぁ♡なんて思う今日この頃です。
希美
2024/08/02
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55歳、男です
中学生の時、いわゆる当時の「グループ交際」ではないけど、数人の男女で仲良くしていた中に好きな女の子がいたどういういきさつでそうなったか覚えてはいないけど、その好きなコの家に僕一人で遊びに行くことになり、多分はじめての1対1の時間
彼女の部屋に通され、他愛もない中学生の会話をしてしばらく過ごすうちに、彼女がラジカセから流したのは浜田省吾「片想い」
その頃僕は浜田省吾を聞いていて、その曲も知っていたけれど、特になんとも思わず・・・・ただ夕日が差し込む彼女の部屋の様子はすごく記憶に残っている
普通の中学生の女の子の部屋、勉強机の上のラジカセ、二人飲んでいたジュースのグラス2つあとになって思う、あの時の彼女は、何かを伝えたかったのか?
らっきー
2024/08/02
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初めてのコンサートは母のお腹の中にいた頃。
2000年の夏生まれで二千夏という名をつけてもらい、この世に生を受けました。母のお腹にいた時から、現在に至るまで私の生活の中には常に浜田省吾がいました。
この曲は、私が初めて覚えた曲であり、初めてカラオケで歌った曲です。父とお風呂場で歌っていたのをよく覚えています。
幼少期は歌詞の意味なんてわかりませんでしたが、今聴くとものすごくいい歌詞で、ますますこの曲が大好きになりました。結婚式で必ず流したいと思います。
私が成人した年の父への誕生日プレゼントは、星の指輪のCDでした。
そんな私ももう24歳。昨年、初任給でファンクラブに入会し、父にコンサートのチケットをプレゼントしました。
いい親孝行ができたなと我ながらに思います。
この曲は、浜田省吾と父と私を繋ぐ大切な思い出の曲です。
niccccci
2024/08/02
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1984年 私が19歳で、妻が18歳の春🌸高校を卒して直ぐに…結婚🎉
妻の親に猛反対されましたが、私一人で妻の親父さんに半殺しにされる覚悟で、自分と妻の思いを親父さんに会って伝える事が出来…なんとか結婚を認めてもらうことが出来ました…が…
妻が高校を卒業して直ぐで、私も貯蓄が無かったので結婚式は行わず、親戚同士紹介の御茶会で済ませてしまいました。
妻にウエディングドレスを着せることが出来なかった事を、いまだに後悔しています。
あれから数十年、浜田省吾さんの曲に励まされ、元気を貰いながら、2人の子供を授かり3人の孫にも恵まれ、ここまで頑張ってこれた…私は今年で59歳、妻は58歳になってしまいました。
これからも浜田省吾さん、バンドの皆さんと共に歩んで行きます。
😺猫パパたかお
2024/08/02
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
4年前、パンデミックの年に始まった大学生活。
小さな田舎から飛び出して来た私は、画面の中にしか友人が居ない日々がしばらく続いた。
2020年当時、浜田省吾のサブスクが解禁されたと知る。
同じ大学、学部なのは何かの縁だろうと下宿のある六角橋商店街を抜け、菊名のバイト先まで東横線にゆれながら聴いていた1曲。
都会に来た少年が故郷や母のことをチラつかせるこの歌詞は不安や悲しさを持って上京してきた自分の状況をまるで吹き飛ばすようだった。
横浜で4年過ごしてみれば、沢山の出会いや恋、別れを経験することができた。
気づけば沢山の仲間がいたのも浜省との出会いのおかげである。