この曲に寄せられたエピソード
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高校時代、柔道部の親友に浜省をすすめ、見事にハマり、いつも二人で聞いていました。NHKホールのライブに初めて行った時は感動で、時間を忘れて居酒屋で語りあったのを覚えています。
お互い就職して少し疎遠になった頃、職場に電話があり「俺、癌で余命3ケ月って言われたよ」と。
早退して病院に行くと髪の毛のない奴が。
その後も度々見舞いに行く中、何か出来ないかと思いついたのが少し後に開催される昭和記念公園での浜田省吾ライブ。
もう一度、あいつと。もしかして治るかも。
運営サイトにメールを入れてお情け頂戴(ズルしてでも)するも、見事落選。
僅かな希望は、会場外で溢れてくる音を聞こうと。残念ながら、その日まで持ちませんでした。
結局、一人で車道に車を停めて、やつを偲びながら音を聞いていました。〜投げ出し、逝ったあいつ〜 号泣でした。
今はカミさんを連れて、ライブ行っています。
馬場剛
2024/08/01
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浜省さんを知ったのは約20年前、当時4歳の時でした。
父の影響でお出かけの時車の中でよく曲を聴いていました。
幼かったので歌詞の意味などは分からず、なんとなくで聴いていましたが、何度も聴いているうちに歌詞を覚えて歌えるようになりました。
幼稚園児だった私は、お迎え待ちでブランコに乗っている時よくJ.BOYを歌っていたんです(笑)
幼稚園の先生やお迎えに来た友達のお母さんには驚かれましたが、J.BOYに限らず浜省さんの歌を園でよく歌っていたのは思い出に残っています。
とにかく浜省さんが大好きで、園の工作の紙粘土で好きなものを作ってマグネットにしよう!という時間にも紙粘土で浜省さんを作りました。
20年経った今でも家の冷蔵庫に貼ってあります。
そして20年前父の車の後部座席で歌っていた私は今、自分の車の運転席で浜省さんの歌を歌っています。
みょんみょん
2024/08/01
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40代、転勤で生まれたところ離れて、家族とも離れて、単身赴任、九州で仕事をしていました。
慣れない土地で、地名も方向、わからなくなっている日々、ひどく疲れて、生きていくことがこんなに辛いかと、もがき苦しんでいた日々。
ふと、バスの中でJ.BOY耳にした。
家族全員浜田さんが好きでよく聞いていたが、九州にして、聴く機会も減っていた。
そんななか、耳にしたJ.BOY。ハッとした。
心の中で潰れていた自分が、立ち上がっている気がした。溜まっていた血液が流れ出した様な気がした。
自分の身体の中にJBOYという臓器がある様にも感じた。
それから、この曲は更に更に、私のテーマ曲であり応援歌となって、この身体を日々巡って力となっている。
虚しい日常を打ち砕く力になっている。
そんな曲を生み出して頂き、ありがとうございます。
浜ジュン
2024/08/01
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自分が40代半ばの頃、全国の職場で約3000人の人員削減計画が持ち上がった。
当時私は労働組合の幹部をやっていて反対運動に取り組んできたがそれを阻止できなかった。
削減は数年かけて行われることになり、阻止できなかったことに責任を感じたし、率先して削減されることを希望する人も少なかったので、私は最初の削減者に手を挙げた。
転職先ではイジメにあったが、今ここで辞めてしまっては、あとに続く仲間に申し訳が立たないと思って歯を食いしばっていた。しかし、第一陣で共に削減されて他の職場に転職した仲間たちが自殺したりメンタルをやられて辞めたり休職したりするのが相次いだ。自分や友の状況を思うと、人生ってなんだろう。一生懸命頑張ってきたことは無駄だったのかな。これから俺は何に価値や、やりがいを見い出して生きて行けばいいんだろうと悩んでいた時期によく聞いていた曲です。今の自分の状況やメンタルに共振していて、辛いけどいつか必ず道を開いてやると毎日、自分を奮い立たせていました。
ひとなる
2024/08/01
10代の時初めて聴いて、曲がカッコいいって歌詞の意味も解らないで唄ってました。
20代の時歌詞の中身が社畜っぽく聴こえて、ちょっとカッコ悪いと思ってました。
30代になって社会で自分も唄の中のJ.BOY と同じ境遇になり、初めて歌詞の意味が解ったような気がしました。
日常を打ち砕いて、悲しみを乗り越え、孤独を受け止め、虚しさを吹き飛ばして40代になり、これまでなんとか生きてこれたと思ったら少し涙が出ました。
そして50代になって、自分にもですが他の若い世代に、頑張れってエールを送ってるような気持ちで今もこの唄を聴いてます。
もしかしたら浜田さんも同じような気持ちで唄って下さってるのかも知れませんが。