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北海道の高校を出て遠く本州の会社へ就職した。 同郷の先輩にとてもよくしてもらった。 その先輩の彼女を好きになってしまった。 彼女がいない僕のアパートになんと!その先輩の彼女が!クリスマスイブの夜に来た。 僕のアパートから家が近く仕事帰りに小さなケーキを持って来てくれた。 そのケーキを2人で仲良く食べました。 その時にかかっていた曲がロマンスブルーでした。彼女は、先輩と別れてしたったけど… 僕の事どう思っていたのかな~あの夜の事はどんな意味があったのかなと、この曲を聴くと思い出します。
ロマンス・ブルー
還暦を過ぎて、この夏上高地に行きたくなって一人で旅をした。上高地の景色は変わらず僕を迎えてくれた。 本当は大学の頃彼女と行く筈だったがその前に別れてしまった。いわば淋しさ忘れの旅だったか? 上高地の雄大さに癒されかえるバスの中、途中大正池の停車場から老夫婦が乗ってきた。僕の一つ斜め前の席だ。何げなく見ると大学の時まさに彼女だった。 斜め後ろからだがホクロの位置、かぎはなの形40年と月日は流れどかわらなかった。初めてあった時のささやき <初めてあった時ビビッと感じたのあなたと恋するって> それからわずかだったけど夢のような時を過ごし別れた。彼女を忘れる為にいくどか恋して別れた、その思いが40年前の事なのに彼女の後ろ姿から走馬灯のように 蘇るようだった。涙が出そうな時間だった、最終で降りた時彼女も僕を見た時は何も感じなかったが先を歩く彼女がふと振り返って僕を見直した時何か感じたのかも知れない。男は過去の幻想に生き女は現実に生きていく。 家にかえり家内は知らない箱の中に彼女の写真がある 変らない。
中学生の頃、ひとつ年上のバスケ部の先輩に恋をしていました。 思い切って告白したところ、交換日記をすることに。 毎日のなんでもないようなことを綴る交換日記は、私の母に見つかり終わりを告げました。ほんの3ヶ月の幸せでした。 高校生になり、下校時、最寄り駅からの帰り道、偶然、先輩に出会い一緒に帰る事に。 なんだか恥ずかしくてあまり話せませんでしたが、最近、浜田省吾を聴いてるんだけど、知ってる?と聞かれ、首を横に振った私に、プロミスト・ランドをダビングして郵送してくれました。それについていたメモに5曲目が好きなんだと。 今も変わらず君だけを愛している 私達は結ばれることはありませんでしたが、最近、SNSでお互いを見つけ、再会することができました。あの時、本当は告白したかったんだと言われて、私の初恋はやっと実を結んだ気がします。
1983年5月12日もう40年も前のことですが忘れられない日です。大好きだった子と浜省のコンサートに、共に2回目のコンサートでした。コンサート終了後、会場出口で「これ読んで」と手紙を手渡されました。 前年の暮れ、父親の転勤のため年明け東京に戻る予定でした。幼かった自分はずっと一緒にいてほしいと言い、互いに受験も控えていたので単身赴任してもらうことになりました。まだまだ一緒いれると思っていたのに手紙の文面は「いずれ東京に帰るから今、別れましょう。」と記されていました。 歳を重ねるごとに大好きだった子は大人だったなと。後日、その日の日付入りの浜省のサインが手元に。今でも宝物です。
今までの人生の中で1番愛した人に浜田省吾さんの曲を沢山教えてもらいました。 でも、彼は既婚者。永遠に一緒には居られないことをわかっていても、愛さずにはいられませんでした。 今までいろんな恋愛をしてきましたが、彼以上に愛した人はいません。 ロマンスブルーは、そんな彼とのドライブや、思い出の中で何度も聴いて、2人で何度も泣きました。 省吾さんの『今も変わらず君だけを愛している』という言葉にどれだけ救われたか、、、 決して許されない愛だとわかっています。 けれど、ロマンスブルーの曲を聴いている間だけは、彼を想い、溢れる気持ちに浸らせて欲しい。 人生で1番のラブソングです。
北海道の高校を出て遠く本州の会社へ就職した。 同郷の先輩にとてもよくしてもらった。 その先輩の彼女を好きになってしまった。 彼女がいない僕のアパートになんと!その先輩の彼女が!クリスマスイブの夜に来た。 僕のアパートから家が近く仕事帰りに小さなケーキを持って来てくれた。 そのケーキを2人で仲良く食べました。 その時にかかっていた曲がロマンスブルーでした。彼女は、先輩と別れてしたったけど… 僕の事どう思っていたのかな~あの夜の事はどんな意味があったのかなと、この曲を聴くと思い出します。
ロマンス・ブルー
浜田省吾
還暦を過ぎて、この夏上高地に行きたくなって一人で旅をした。上高地の景色は変わらず僕を迎えてくれた。 本当は大学の頃彼女と行く筈だったがその前に別れてしまった。いわば淋しさ忘れの旅だったか? 上高地の雄大さに癒されかえるバスの中、途中大正池の停車場から老夫婦が乗ってきた。僕の一つ斜め前の席だ。何げなく見ると大学の時まさに彼女だった。 斜め後ろからだがホクロの位置、かぎはなの形40年と月日は流れどかわらなかった。初めてあった時のささやき <初めてあった時ビビッと感じたのあなたと恋するって> それからわずかだったけど夢のような時を過ごし別れた。彼女を忘れる為にいくどか恋して別れた、その思いが40年前の事なのに彼女の後ろ姿から走馬灯のように 蘇るようだった。涙が出そうな時間だった、最終で降りた時彼女も僕を見た時は何も感じなかったが先を歩く彼女がふと振り返って僕を見直した時何か感じたのかも知れない。男は過去の幻想に生き女は現実に生きていく。 家にかえり家内は知らない箱の中に彼女の写真がある 変らない。
ロマンス・ブルー
浜田省吾
中学生の頃、ひとつ年上のバスケ部の先輩に恋をしていました。 思い切って告白したところ、交換日記をすることに。 毎日のなんでもないようなことを綴る交換日記は、私の母に見つかり終わりを告げました。ほんの3ヶ月の幸せでした。 高校生になり、下校時、最寄り駅からの帰り道、偶然、先輩に出会い一緒に帰る事に。 なんだか恥ずかしくてあまり話せませんでしたが、最近、浜田省吾を聴いてるんだけど、知ってる?と聞かれ、首を横に振った私に、プロミスト・ランドをダビングして郵送してくれました。それについていたメモに5曲目が好きなんだと。 今も変わらず君だけを愛している 私達は結ばれることはありませんでしたが、最近、SNSでお互いを見つけ、再会することができました。あの時、本当は告白したかったんだと言われて、私の初恋はやっと実を結んだ気がします。
ロマンス・ブルー
浜田省吾
1983年5月12日もう40年も前のことですが忘れられない日です。大好きだった子と浜省のコンサートに、共に2回目のコンサートでした。コンサート終了後、会場出口で「これ読んで」と手紙を手渡されました。 前年の暮れ、父親の転勤のため年明け東京に戻る予定でした。幼かった自分はずっと一緒にいてほしいと言い、互いに受験も控えていたので単身赴任してもらうことになりました。まだまだ一緒いれると思っていたのに手紙の文面は「いずれ東京に帰るから今、別れましょう。」と記されていました。 歳を重ねるごとに大好きだった子は大人だったなと。後日、その日の日付入りの浜省のサインが手元に。今でも宝物です。
ロマンス・ブルー
浜田省吾
今までの人生の中で1番愛した人に浜田省吾さんの曲を沢山教えてもらいました。 でも、彼は既婚者。永遠に一緒には居られないことをわかっていても、愛さずにはいられませんでした。 今までいろんな恋愛をしてきましたが、彼以上に愛した人はいません。 ロマンスブルーは、そんな彼とのドライブや、思い出の中で何度も聴いて、2人で何度も泣きました。 省吾さんの『今も変わらず君だけを愛している』という言葉にどれだけ救われたか、、、 決して許されない愛だとわかっています。 けれど、ロマンスブルーの曲を聴いている間だけは、彼を想い、溢れる気持ちに浸らせて欲しい。 人生で1番のラブソングです。
ロマンス・ブルー
浜田省吾