この曲に寄せられたエピソード
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私が家路を選んだのは 30年一緒にいた夫が、病気で2022年に亡くなりました。私と夫の出会いは 同じ職場で毎日 顔をあわせている内にお互いに気になる存在となり 気づいたらお付き合いをしていました。夫と当時 12歳一回りはなれていました。夫32歳 私20歳でした。夫とデートの時は私が大好きな 浜田省吾さんの曲を当時カセットテープに入れた曲をかけてデートにいきました。夫は 浜田省吾さんの名前は知っていましたが 聞いた事はなかったみたいで その時から夫も浜田省吾さんの大ファンになりました。1991年に はじめて夫と2人で浜田省吾さんのコンサートを札幌に見にいきました。凄く 感動して浜田省吾さんが曲を歌うたびに涙が止まりませんでした。浜田省吾さんのコンサートの数日後に結婚式をしました。その結婚式で J.BOYと詩人の鐘を使わせていただきました。結婚して 3人の子供にも恵まれましたが 長男が6歳のときに脳腫瘍になり病気で亡くなりました。その時には 2男が2歳で何もわからない年でした。長男が亡くなり悲しい日々が続き 3年ぐらい経った後に3男が生まれて忙しい日々を過ごし 家庭が少し明るくなり2男と3男の年のあいだは5年あいていて 子供の入学 卒業 成人式 社会人とやっとこれで 夫と2人で大好きな浜田省吾さんのコンサートにたくさんいけるね…と言っていたや先に夫が体調がよくないと言って 病院に行った時に病気がみつかり 夫は絶対に病気を治し大好きな浜田省吾さんのコンサートに行くんだと言って頑張っていましたが 病気が急変してしまい残念ながら 浜田省吾さんのコンサートに行く夢が叶わなかったです。夫が病気で闘っている時にこんな事を言いました もし 自分が亡くなった時に浜田省吾さんの好きな曲たくさんあるけど 2人で行っ100%FFFの時に 浜田省吾さんが最後にギター1本で歌った 家路が忘れられないし 凄くよかったと言って夫の見送る時に家路で見送りました。遺影も浜田省吾さんのトラックツアーの前で写した写真を使いました。夫が元気でいたら2人で100%FFFに参加していたと思います 今回 当選しましたら夫の写真を持って参加したいと思っています きっと 夫も喜んでくれると思います お父さんこれからも私 子供たちを見守っていてくださいね ずっと 大好きだよお父さん。長くなりましたが すいません。
明福星
2024/08/01
子供の頃から健康だけが取り柄だった私が
ある日交通事故で大怪我して足に大きな障害を
負ってしまったり、あるときは頭の中の
血管異常で急に倒れて
病院に運ばれて緊急手術したり…
それでも不死鳥のようによみがえり
復活をとげてきたのですが
数年前にお腹の中に悪性腫瘍がある事がわかり
その時ばかりは『もうダメだ…』と限界を
感じていました。
ヒトはいつか死ぬのが宿命でそれが
私はそれがみんなより少し早いだけ
なのかもしれない…
そのときに突きつけられた偽りのない現実です。
その時にたまたま聴いていた省吾さんの家路が
胸に突き刺さったんです。
この命が尽きた時に『帰る場所』に行くときに
この歌を聴いて逝きたいと…
夫や兄姉には今際の時や出棺する時には
家路を掛けて見送ってほしいと伝えてました。
『何言ってんの?!』と言われましたが
偽りのない本心でした。
あれから6年…変わったことはたくさんあるけど
今現在、転移も再発もなく過ごしています。
そして省吾さんを通じて新たな友人も増えました。
そんな中でファンの方がひとりで開いている
あるお店を友人が発見しました。
ひとりですべて手作りのお惣菜を作って
地元のお客さんが多く通う小料理屋さんです。
ある時に友人に誘われ何気なく行ったのですが
そのオーナーさんの作る料理を食べて
ふと感じたのが、亡くなった母の料理の味に
よく似ていたのです。
もう少し、ここのお料理食べていたいな…
素直な私の思いです。
今の家路は『その時』ではなくて
オーナーさんのお店へ行くときに
駅からの道をイヤホン越しに
省吾さんの家路を聴きながら
『どんなに遠くてもたどり着いてみせる』と
自宅からは近くはないお店へ行く
ワクワクするような気持ちで
夕暮れ時にバスに揺られて聴いてます。
今では、オーナーさんのお店は
私の第二の実家となりました!
あの時は生きる事を少しだけ諦めていた部分も
ありますが、今は違います。
夫はもちろんのこと、大切な『浜友』さん達と
今あるこの時を楽しくみんなで笑って
そして、今しかないこの時を
大切に有意義に過ごしていきたいと思っています。