君と歩いた道

浜田省吾

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ミラーボール

13年前に母が他界しました。闘病中の母を父は毎日お見舞いに通っていました。弱っていく母のお見舞いの後の私との会話は「なんともならん」。そんな父も2年前に母のもとにいきました。 コンサートではじめてこの曲を聞いた時は映像もあり涙がとまりませんでした。

ペンとパン

君(=省吾さん)と歩いた道 歌詞の中の君 君=省吾さんの事だと思った。 置き換えて聞いていた。 詩は自分の省吾さんに対する気持ちだと思った。 もしも君(省吾さん)とどこかですれ違って 出逢うこともなくて歌を聴くこともなかったなら悲劇さ もし15才のあの夏に戻って(省吾さんに初めて出会ったのは15歳の夏)そこからもう一度やり直せても この人生(省吾さんの歌を聴き続ける人生)を選ぶだろう 君(省吾さん)と歩いた道をもう一度歩くだろう

とんぼ

学生の頃に友達の影響で、初めて聴いた浜田省吾。それからずっと聞き続けて、社会になって数年後に、初めてコンサートに行く事が出来ました。きっかけは、同じ職場の7歳年上の同僚。お互いに浜田省吾が好きな事で意気投合。まだライブに行った事の無い自分を、一緒に行こうと誘ってくれて実現しました。 2008年マイファーストラブ。地下鉄、真駒内駅で待ち合わせ。綺麗で、優しくて、ノリノリのその方と、ドキドキしっぱなし笑。だって、ひとつだけ、どうしてもやりたい目標があったから。その方と手を繋ぐ。君と歩いた道の間奏で思い切って手を繋ぐ。憧れのその人と。 初めてのライブはホント最高で、激しくて、カッコよくて!あっという間の幸せな時間でした。そして、いよいよ手を繋ごうと決めた間奏の時。 僕はあなたに恋をしました。 優しくニコッと笑い、優しく握り返してくれましたね。今では僕にとって1番大好きな曲になりました。 今はお互いに別々の場所で過ごしてますが、お元気ですか?僕は今でも、直子さんが大好きです。

けちーややけーち

母が好きな曲でした。 自分がよくMY FIRST LOVEを聴いていて、この曲が流れたとき、母親がよく口ずさんでいたのを覚えています。 母は3年前に亡くなってしまいましたが、聴くたびに母のことを思い出させてくれる大好きな曲です。  

遠藤浩江

思い起こせば約13年前。 インストラクターとして勤務している自動車学校で、当時担当していた教習生から 『先生、どんな音楽聴くんですか?』 『いやー、あなた達の世代では知らないと思うよー。一番好きなのは、浜田省吾っていうアーティストなんだけどね。』 『……?』 次に教習を担当した時 『あれからYouTubeで浜田省吾の曲を聴いたんっすけど、めっちゃハマってCD借りまくりました‼︎』 『へー、そーなんだぁ…』 ふんっ、社交辞令でテキトーに話を合わせなくてもいいのに… その後、自動車学校を卒業し免許を取ってから突然学校に遊びに来て 『先生、一緒にカラオケ行きましょう‼︎』 『おー、行こう行こう!』 イマドキの子と行くんだからイマドキの曲でも歌ってやるかぁーなんて思って行ったら、ヤツはなんと浜省の曲を30曲以上完璧に覚えてきやがった‼︎ 始めて浜省の話をしてから、たしか2〜3週間後の話。(短期間でこの記憶力、こいつバケモノか⁈笑) その後、ヤツは1年間上京し、地元に戻って間もなくウチに転がり込んできて同居生活開始。 今では私よりも熱狂的な浜省ファン。横浜アリーナまで遠征してライブを堪能した後で 『明日から何を心の支えに生きていけばいいんだ…』 などと『浜省ロス』に苦しんでいる。 26歳年下のウチのダンナの話ですけどね(笑)