青春のヴィジョン

浜田省吾

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ずっとON THE ROAD

OL1年目の私、少し仕事には慣れて来た12月の中頃 でした。仕事帰りに立ち寄った街中の長崎屋、上りのエスカレーターに乗っている時流れた曲の歌詞が耳から離れなかった、、 「もうこれ以上走れないよ、そう叫びながら走り続けてる」なにコレ⁈18歳の私には、哲学風にも感じられた歌詞、、だけどいったい誰が歌う、なんの曲かは今から45年前の地方都市では調べるすべもなく、 その歌詞がグルグル頭の中を巡り、時に紙に書き出し、ながら1979年は暮れていきました。 明けて1980年割といろいろな音楽を聴いてた私は モコさんこと高橋素子さん、の音楽番組を毎週ラジオで聴き、ラジカセで録音してました。 1月中旬だったと思う、いつもながら聴いてた番組、今日はスタジオライブです〜さぁ3曲目?だったかな 、あぁ良い曲だなぁ〜と聴いてた耳に 「もうこれ以上走れないよ、そう叫びながら走り続けてる」が飛び込んできました⭐︎ いったい誰?えっ浜田省吾⁈ それから繰り返し青春のヴィジョンを聞いて その日知った浜田省吾さんをその日からずっと 夢中で追いかけてます。

NoelRoad

キキーッ!(ブレーキの音) カチャッ(自転車が家の前に止まる)カタン。。。(ポストの音) あ、また来た、、、。 ポストの中には角ばった白い封筒。宛名はなく、裏には <浜田省吾大好き少年>のいつもの文字。 差出人は姉の先輩。私は彼の顔も知らない。知っているのはあの音と筆跡、ポストの前の横顔。走り去る後ろ姿。 封筒の中にはカセットテープが一本。 彼は浜田省吾が好きすぎて、いろんな人にラジオ音源を録音しては配っていたらしい。ダビングができるたびにわが家のポストに投函していたのだ。 その光景は先輩が卒業するまで何度も繰り返された。 お姉ちゃん、何あれ。 ああ、こないだレコード貸してくれた先輩よ。この人ね、まだあまり有名じゃないけど、すごい人なのよ。コンサートはめちゃくちゃ盛り上がるらしいよ。 まだ幼く初恋も知らない私は思春期の入り口に立とうとしていた時期だった。 あのカセットテープに入っていた曲のなかで、思い出すのは青春のヴィジョン。 まだ青春には早すぎるけれど、浜田省吾の歌詞の世界とメロディーにどんどん引き込まれていった。 まさか彼は顔も知らない後輩の妹が<浜田省吾大好き少女>になり、生涯聞き続けていることを知らないだろうな。

YUKIN

中学生の時、ラジオを聞いていたら流れて来た曲。深夜だったからウトウトしながら聞いていたんだけど、この曲でバチっと目が冷めました 省吾さん流で言うと稲妻が走った感じ その時DJが浜田省吾って人だと知って 書店へ行って調べてみたり、ラジオを聞いたりしたけど、この曲に会えなくて、 中学生だったからお小遣いが少なくて、なかなかレコードを買えないんだけど、やっとお小遣いをためて、レコード店へ行った 曲名がわからなくて、浜田省吾のレコード数枚とにらめっこ とうしよう。。。あの曲が入っているのはどれだろう? と、悩む事数十分 お店のお兄さんが声をかけてくれた 「浜田省吾好きなの?何か探してるの?」 私が覚えてるだけのフレーズを言ったら、 「あーそれならこのアルバムだよ」 って君が人生の時を渡してくれた。 「浜田省吾って良いよね 僕も好きなんだよ」と言って これおまけ お店で貼ってたからちょっと汚れてるけど。。。 と、省吾さんが黒いスーツでギターを弾いてるポスターをくれた。お礼を言って急いで家に帰りました。 私が衝撃を受けて、省吾さんと出会った曲。 優しいレコード店のお兄さんを思い出す曲です。

み〜にゃん

ラジオから流れてきた「青春のヴィジョン」。当時17歳の私、これからどうやって生きていったらいいのか。何がしたいのか何もわからず、決められず、ただ目の前のテスト勉強をするのみでした。その時に聴いた曲でした。本当に稲妻が身体の中を駆け抜けました。ストレートな歌詞にすごく感動した事を思い出します。今でも、この曲を聴くと、テスト勉強をしながら「青春のヴィジョン」を聴いた感動が鮮明によみがえります。

リクシロ

ラジオあおいくんとさとうくんの公開録画に小学6年生の、たしか春?に姉が一緒に連れてってくれました 初めてだった事もあるかもしれませんが、ステージに衝撃を受けました ルービックキューブみたいな目つぶしのライト、サングラスになぜか夢中になり、それから私は57歳になります 今じゃ考えられないけど、音楽室でプロミストランドをかけたり、友人に強引に聞かせたり 初めて購入したアルバムはイルミネーション 中学一年の時、武道館も四つ上の姉がとってくれて、知恵熱?が出たけどお尻に注射して何とか行けました 昨年ですか、武道館にまた参加しました 貧乏だったし、学生の頃はいろいろと父に言われましたが、地元のコンサート会場のチケットを父の知り合いが譲って下さり、父が嬉しそうに私と姉に連絡してきました 行きたくてもチケットが取れるかわからなかったので本当に嬉しかった とにかく今もずーっとかっこいい浜田省吾さんが大好きです