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母が浜田省吾さん大好きで母の影響で好きなりました!!
初めて聞いた曲は車で流れていたMy HOMETOWNで、当時中学生でした!!w
それから色んな曲聴くようになり、社会人になった今でも毎日聴いてます!
くまさん
2024/08/01
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今から22年位前、カラオケパブでの事、当時40才 何も考えずに生きて来た自分、酒を呑みながら付いてくれた女性とバカ話、隣の席のお客さんがカラオケをいれた模様、そして歌始まり聴いていたら知らない歌手の歌、向かいに座る女性としばし歌の鑑賞、歌詞を進めて行くと自分と重なる詩、涙がとめどなく溢れる自分、曲終わりで歌っていたお客さんに誰の曲ですか?って聞いたら浜田省吾との事、次の日CDショップで買いあさりました、今思へば、そのお客さんは僕の10個位上で、丁度浜田さんと同い年位だったような?そのお客さんが歌った歌は ミッドナイトブルートレインでした。
荒神徹
2024/08/01
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80年代のお話しw。1つ上の彼。小6から高1まで片想い。小学校、中学校と一緒で彼は小・中と生徒会長を務めていました。いつも遠くから見てるだけw彼の事は左程知らないw見た目がドンピシャだったのでしょう。カッコイイなぁと私の中のアイドルでした。
中学校で女子バレー部に入った私に現実が待ってました。1つ上の先輩、ショートカットで細身で大人しい先輩、彼の彼女と分かりました。
彼は部活が終わるのを待って彼女と並んで校庭を歩く姿を部活後の後片付けをしながらぼんやり見つめていました。そういうことか、悲しみより只々ぼ〜と立ち尽くすだけでした。
その後彼は卒業。ただ町内だった為極たまに見かける事があってその時は神様有り難うって思ったり。
私も卒業し彼の高校には落ちたので違う高校へ。
それでも彼の学校の文化祭へ行くと彼は教室でバンド演奏していました。ギターでボーカル。長髪で長渕剛の曲を歌い、やっぱりハジメ君はカッコイイなぁと思った瞬間涙が溢れてきて急いで教室をでて階段をかけ降りながら「もう、おしまい」とふっと区切りがつきました。
その後は想い出と変わっていきました。
長い片想いで重なる時は全く無かったけれど、それをも愉しんでいたと思います。彼を好きでいることが好きだったのかもしれない。
浜田省吾は中学からの今も長ーいファンですが最近は片想いをステージでは聞かないけど当時は歌うたびに彼を思い出して泣いてました。
今は泣きはしないけどやはり思い出します。
懐かしく忘れられない日々の曲です。
省子
2024/08/01
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6年前の6月24日 午前6時20分。
朝の訪れとともに、父は永眠した。
享年79歳。
静かな、まるで眠るような旅立ちだった。
翌日の通夜、翌々日に行われた告別式には、親戚をはじめ数多の父の知人友人が参列してくださった。さながら奇妙な同窓会のような空気も流れていたその会場のロビーに設置されたテレビモニターからは、両日の間、とあるDVDがエンドレスで流れていた。
それは、父の生涯をまとめたショートムービーだった。
「お父様の写真が何枚かあれば作れますよ」と亡くなった当日の午後、葬祭会館のスタッフさんにそう提案されたワタシは、躊躇することなくそれに同意した。葬儀の打ち合わせを中座して車で5分ほどの距離にある実家に戻り、古いアルバムと自身のスマホの中から晩年の父の写真を選んでスタッフさんに数点の写真を渡した。その時にスタッフさんに「出来るのなら、BGMはこのカセットの最後の曲にしてもらえませんか?」と実家から一緒に持って来た古いカセットテープを手渡した。
翌日出来上がったDVDは5分に満たないショートムービーだったが、戦時中に生まれ、高度経済成長の時代に青春を謳歌し、巷がバブルで浮かれていた頃に仕事の不振や病気で苦渋の時期を耐え過ごし、そして晩年には5人の孫に囲まれ好々爺となった父の生涯が映し出されていた。そのバックには、ワタシがお願いした「THEME OF FATHER'S SON (遥かなる我家)」が、静かに、だけれども力強く流れ続けていた。
通夜が始まる間際、ロビーに流れる父のこのショートムービーを叔父がぼんやりと眺めていた。
もうすぐ式が始まることを告げるために近づいたワタシに気づくと、「いい映画を作ったのう」と叔父は独り言のように呟き、そして「お前のお父さんは、ええ人生じゃった」と続け、ゆっくりと会場の中へと入っていった。
riki
2024/08/01
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初めて省吾さまのコンサートに行った時(2005年秋)、長女は小学5年、次女は年長だった為、確かファミリー席で観ていたと思います。会場の2階席後方でしたが娘たちも毎日省吾さまの歌を聴いていたので初めてのコンサートを一緒に楽しんでました。それでも幼かった次女はコンサートの途中で疲れて寝てしまい(笑)、わたしは抱っこしながら観ていました。このまま終わりまで目が覚めないかな?と思っていたら最後の歌だったでしょうか、ミッドナイトブルートレインが流れた時ぐっすり寝ていた次女がぱちっと目を覚まして大きな声で一緒に歌いだしたのです(笑)可愛い過ぎました...笑。そのエピソードは今でもミッドナイトブルートレインを聴くと話して笑ってます。実は、その次女と昨年のコンサートへ2005年ぶりに一緒に行けました!!!24歳になった娘と省吾さまのコンサートへ一緒に行ける日が来るとは想像していなかったので感激でした...もちろん最初から最後までしっかり起きて楽しんでました!笑。幼かった娘のあの日の寝顔や、大きな声で歌っていた姿をミッドナイトブルートレインを聴くと思い出します。
みおみお
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
妻の誕生日、小学2年生と1年生の息子2人と妻、家族4人で車で向日葵畑に行くために高速道路を走っていました。
その道中、「I am a father」がかかり、家族全員で大合唱でした。テンションもMAXになり、いつの間にかスピードもMAX!
気がつけば、覆面パトカーに止められ、一気にテンションが下がった苦い思い出です。