THEME OF FATHER'S SON (遙かなる我家)

浜田省吾

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ペンとパン

 今から24年前 結婚式の新郎からのスピーチのBGMでこの曲を掛けた(ちなみに、省吾さんファン歴当時21年だったが使用したのはこの曲だけ) 父母 兄弟に伝えてたくて。 「・・・聞こえてくる あのあばら家 過ごした日々の家族の笑い声」我が家はこの歌詞にあるように、当時貧しくてあばら家に近い状態の家に住んでいた。日々起動哀楽の出来事が起こる我が家。本当に色々な事があった。 でもその時、今だからわかる。 その時が一番幸せだったのだと。今は当時より良い家に住み、良い暮らしをしているけど「家族の笑い声」は聞こえない。勝てないことを。不幸せではないけど、あの頃より 遥かなる我が家 今も心にあるあの我が家 目をつぶれば、家族の笑い声が聞こえてくる。 当時、昭和40年代。

らんちゃん

海辺の田舎町で自営業を営む 父母と祖母と、少し年の離れた姉2人と 兄がいる家族の元に生をうけた。 遅く生まれた末っ子だったこともあり 家族全員から愛され特に父親には 溺愛といってもいいくらい愛された。 毎日家族のために朝から晩まで一生懸命に 仕入れから販売まで忙しく働きまわる父が 子供ながらに誇らしかったし そんな父の事は特に大好きだった。 夏の夜には時々、父の背中に背負われて 家族みんなで自宅のすぐそばの海へ 皆で夕涼みへ出掛けた。 父の背中越しに眺める夜の海の景色と 涼しい海風が吹き抜ける心地良さは 幼き日々の遠い記憶である。 この曲を聴くと子供の頃の愛されていた 貴重な時間を思い出さずにはいられない。 披露宴の時には父と母に手紙の文面と曲も一緒に 聴いてもらいたくて、この曲を掛けてもらった。 父がいる天国まで、ちゃんと届いていると信じて。

森田昌明

私の父は特攻隊の生き残りで、終戦後は荒れた生活をしていたようです。そんな中で育った兄は苦労したようです。私が産まれた頃から父も安定し、ようやく家族旅行に出られるように。まさに歌詞にあるように、兵庫県の赤穂市の海岸を家族で歩いた事をかすかに覚えています。今では両親も兄も亡くなりましたが、あの砂浜と2間の文化住宅を忘れる事はありません。この曲は大切な家族を思い出させてくれる宝物です。

riki

6年前の6月24日 午前6時20分。 朝の訪れとともに、父は永眠した。 享年79歳。 静かな、まるで眠るような旅立ちだった。 翌日の通夜、翌々日に行われた告別式には、親戚をはじめ数多の父の知人友人が参列してくださった。さながら奇妙な同窓会のような空気も流れていたその会場のロビーに設置されたテレビモニターからは、両日の間、とあるDVDがエンドレスで流れていた。 それは、父の生涯をまとめたショートムービーだった。 「お父様の写真が何枚かあれば作れますよ」と亡くなった当日の午後、葬祭会館のスタッフさんにそう提案されたワタシは、躊躇することなくそれに同意した。葬儀の打ち合わせを中座して車で5分ほどの距離にある実家に戻り、古いアルバムと自身のスマホの中から晩年の父の写真を選んでスタッフさんに数点の写真を渡した。その時にスタッフさんに「出来るのなら、BGMはこのカセットの最後の曲にしてもらえませんか?」と実家から一緒に持って来た古いカセットテープを手渡した。 翌日出来上がったDVDは5分に満たないショートムービーだったが、戦時中に生まれ、高度経済成長の時代に青春を謳歌し、巷がバブルで浮かれていた頃に仕事の不振や病気で苦渋の時期を耐え過ごし、そして晩年には5人の孫に囲まれ好々爺となった父の生涯が映し出されていた。そのバックには、ワタシがお願いした「THEME OF FATHER'S SON (遥かなる我家)」が、静かに、だけれども力強く流れ続けていた。 通夜が始まる間際、ロビーに流れる父のこのショートムービーを叔父がぼんやりと眺めていた。 もうすぐ式が始まることを告げるために近づいたワタシに気づくと、「いい映画を作ったのう」と叔父は独り言のように呟き、そして「お前のお父さんは、ええ人生じゃった」と続け、ゆっくりと会場の中へと入っていった。

mar

父が亡くなった日、病院から自宅へ帰る時、涙が止まらず色んな思いが頭を駆け巡っていました… 父が居なくなったこれからの事… 1人になった母の事… 父の苦しむ痩せていく姿を見続けた半年の闘病生活… 違う病院へ連れていった方が良かったんじゃないか… 違う治療があったんじゃないか… 苦しみに顔を歪める父の顔… もっと感謝の気持ちを伝えれば良かった… 不安と後悔でいっぱいでした、 そんな中、この曲が運転中のカーステレオから流れて来ました… この曲を聴きながら、自分が子供の頃の賑やかだった我家を思い出しました。 自分の思い出の中に出てくる父はいつも笑ってるよなぁ…と気が付きました。 泣くのは後にしよう、父の息子として、しっかり送らなければ!と覚悟が出来た時、車の窓に映ってる自分の顔は父によく似ていました。 自分の心の中とこの歌がピッタリ一致した気がしました。浜田省吾さんのコンサートは何回も行き大好きで、どの曲も大好きなのですが、この曲は特別な一生忘れられない曲です。