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今から35年前、1990年オレが21歳の頃に「浜田省吾」さんを知りました。知ったきっかけは、当時職場の直ぐ近くに省吾さんのツアートラックが駐車されていて、同僚達が「ハマショー」のトラックだと騒いでいたのですが、自分はまだ省吾さんの存在すら知らなかったので、「ハマショー」とは?物の名前なのか人の名前なのかさえも分からずにいました。そんな中、年下の同僚が省吾さんのアルバム「farther's sun」を中心としたカセットテープをダビングして渡してくれたのです。「絶対良いから聞いて!」と。帰ってから直ぐに聞きました。そしたらその二つとない歌声やメロディや歌詞が素敵で直ぐにファンになりました。そしてその頃、職場に3つ歳上の好きな女性がいました。グループで遊びにも行ったりもしました。その内女性もオレが好意を持っていることに気付きました。しかし、その女性は一度も振り向いてはくれませんでした。でも、そのことは自分でも何となく分かっていました。でも、当時は凄くその女性の事が好きでたまらなくて、用もないのに夕暮れ時に自宅近くで車を止めて、女性が住む家の部屋の窓を眺めていた日もありました。(今ならストーカーになりそうですが)そう、灯も付いていない部屋をただ見ているだけでした。職場で会えるのですが、ただただ会いたくて…そんな時車の中で聞いていたのがA LONG GOODBYE…女性のことは忘れなきゃならないと思わせられた一曲です。その後もその女性とは付き合うこともなかったのですが、オレのほろ苦い青春の思い出となりました。
今頃、彼女は何処で何をして暮らしているのだろう…
青の時
2024/08/01
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この曲がテーマソングになっていたドラマ(愛と言う名のもとに)が好きで毎回楽しみに見てました。その時次男がお腹にいて予定日は3月始めだったのに中々産まれず…無事産まれたはいいけど、出産入院中でこのドラマの最終回が見れず残念な思いがいっぱい。ただそれが由来で次男は(祥吾)と名づけました。省は祥に変えたけど、母と同世代の人が上司になり、ズバリ親が浜省好きか?と聞かれ本人はこのエピソードを話したら大うけだったみたいです。我が家のイト祥君も浜省とこの曲が好きで、昨年母と横浜アリーナ浜省ライブに行き、この曲が歌われ大興奮、大っきな声張り上げ歌いました。母59歳、イト祥君31歳の時の事、母と一緒にライブ行くなんて最高の次男坊です。
伊藤寿恵
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
アルバムJ.boyが発売された時、かっこええと思いカーコンポ(当時の呼名)のリピートボタンを押して良くリピートさせた曲でした。
またあの様な曲が出てくるのを待っています。