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生まれてはじめて参加したコンサートが1999年、立川昭和記念公園でのものでした。まだ5歳だった私は、母親に連れられて参加。抱っこされながら色々な楽曲を口ずさんでいたと、母は当時のことを思い出す度に言います。おぼろげな記憶のなか、ひとつだけはっきりした記憶が。本編最後の曲、家路。曲が終わって、ステージから捌けていくのを見て「省吾が帰っちゃうー!」と大泣きしたことです。母は「まだ帰らないよー!大丈夫!」と笑いながら抱きかかえた私の背中をとんとんと叩いてくれて、周りの大人たちも笑っていたのをよく覚えています。初めてのコンサートの記憶が一部分でもあること、今でも思い出して懐かしい気持ちになります。
かえ
2024/08/01
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20代前半で就職し、当時、交際していた彼女と僕は、
遠く離れた別々の場所に就職しました。当時は、今のようなスマホも携帯電話もなく、
寮住まいの僕が話すには、
公衆電話しか手段がありませんでした。そのために、一番高いテレホンカードを買い、
夜になると、空いている公衆電話を探し回りました。そして、ようやくたわいない会話ができたとしても、
2、3分の毎日が続きました。そんな毎日を繰り返していたものの、
新採で安月給の身には、
彼女が住む街を訪れるために買った車のローンもあり、
仕事には、なかなかなじめず、
就職後の1年で会ったのは、
それぞれが住む街を訪ねた1回だけでした。会いたくても会えず、
ゆっくり話したくてもろくに話せず、
仕事のストレスも重なり、
次第に僕は、ささいなことで彼女に当たるようになっていました。そして、そんな僕に嫌気が差した彼女は、
僕に別れを告げました。
彼女の目の前には、僕よりももっとふさわしい男性が現れていたのです。せめてきちんと別れようと、
彼女の住む街を訪ね、
指定された喫茶店で待ち合わせました。でも、彼女は、現れず、
店の電話で呼び出されて出ると、
彼女は実家に向かっていました。途方に暮れて自宅に戻った僕は、
自傷行為に走りました。
でも、最後の最後で
その勇気が持てず、
泣くことしかできませんでした。毎日、仕事が終わると寮に帰り、
何を聴くでもなく、
ラジカセでラジオをぼんやりしながら聴いていました。そんな毎日が続いていたある日、
NHKのローカル放送局の番組に
浜田省吾さんがゲストで出演され、
ニューアルバムの「愛の世代の前に」から
何曲か紹介されました。そして「ラストショー」が流れたとき、
歌詞の情景と自分の想い出がリンクし、
僕の目からは一気に涙が溢れました。アルバム「愛の世代の前に」を買い求めると、
カセットテープにダビングし、
何度も何度も「ラストショー」を聴きました。やがて時がたつとともに
僕は、それまでの自分の愚かさを冷静に振り返ることができるようになりました。
そして、愛する人を2度と悲しませまいと心に誓いました。今の自分があるのは、
あの日、あの時、偶然、「ラストショー」を聴いたからだと思っています。
そして、浜田省吾さんのコンサートに行けるときは、
必ず出掛けるようになりました。今でも僕は、
「ラストショー」を聴くと涙腺が緩んでしまいます。
そして、コンサートに行ったときに聴いたときは、
隣にいる妻には分からないように
目にいっぱいの涙をためながら口ずさんでいます。
古屋敷青葉
2024/08/01
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番組のリクエスト曲か何かだと思うのですが自分が中学生かの時、AMラジオから丘の上の愛が流れて間奏の壮大なストリングスアレンジ➕かすれた野太いボーカルにギョッとしたのを覚えています。今から思えばボーカル含めてラジオ媒体に最適化して作られた曲なのか?あと突然買い物中の駅の地下街とかで突然浜田省吾の曲が無差別に投下されたりとか、ソニーが仕掛けた破壊力の強い曲作りだと思います。特にミッドナイトフライトは山下達郎のシンデレラエクスプレスのCMを意識して作られたとすれば、CMでじわじわ若い世代に浸透するMy First 浜田省吾戦略もあると面白いかもと思います。
銚子感じ
2024/08/01
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私が浜田省吾の曲を聴いたのは18歳の春でした。春休みに白馬のペンションでバイトをしようと白馬駅に着いた時に迎えに来てくれたバイトの兄さんの小さなワゴンカーでガンガンにかかっていたのがBIGBOYSBLUESです。これから1ヶ月間ペンションでバイトする不安を一気に消し去りワクワクドキドキが止まらなかった事を思い出します。一面に雪の積もる白馬の道を突っ走る小さなワゴンカーの中で「この曲は何?誰?」とビビッと来ました。それからの白馬での1ヶ月から38年間ずっと省吾さんの曲と声に魅了し続ける私です。白馬のバイトの兄さんにはその後はお会いしてませんがあの時に兄さんに出会わなければ省吾さんに気付かない日々でした。きっと今でも省吾さんのライブには参加されていると思うのでいつかお会いしたいなと思っています。ライブでBIGBOYSBLUESを聴いてあの時に受けた衝撃を思い出し泣けました。
池田 有紀
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
もう随分昔、双子の姉の車から流れてた曲「この曲いいでしょう 浜田省吾の曲よ」それから、私は浜省に魅了され、ファンになり何十年も浜省一筋になりました。
姉は20年前に亡くなってしまったけど、一緒に何度もコンサートに足を運んだ思い出を胸に私は今も姉と共に浜省を応援しています。姉と共に‥