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町役場の春闘
30歳以下で構成される職員組合の「青年部」
毎日昼休みに“歌声集会”と称して組合歌(「闘いはいつも」や「インターナショナル」という歌)を町長室前で2本のアコースティックギターに合わせて大合唱
しかし組合歌はこの2曲だけ
あとは「Hello Rock’n Roll City」を皮切りに全て浜省さんの歌
お陰で我が町役場の青年部の組合員は全員、浜省さんを歌えるようになりました
かれこれ40年前の話です
zappi-kun
2024/08/15
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15の夏。中学2年から同じクラス。彼女はごく普通に明るい感じだけど、ふと悲しい表情をする時があり、どこか惹かれていく僕。2年の時は、修学旅行などのイベントもあったが、遠くからみているだけで、ろくに会話もしたことがなかった。そして、3年になり、また同じクラス。自分の心も少しは成長して、今度こそ、勇気を出して話しかけてみたいと想う。そんなとき、たまたま男子転校生が現れ、とても明るい関西弁の彼は、彼女の隣の席。僕は彼女の後ろの席。なぜか三人は、休み時間、授業中も仲良く話すようになった。あんなに、話せなかった頃が不思議なように。そして彼女は振り返り、時々悲しそうな眼差しをする。なぜなんだろう。季節はバスケットに明け暮れた夏が過ぎ、体育祭。ここでも、イベント準備や催し物で6人組になってダンスを披露する同じメンバで、沢山思い出ができた。秋になり、受験勉強もそろそろやらなきゃいけないころ、部活動もなくなり、暇になった休日。ふと、いや、思いきって、彼女を映画に誘った。もちろん、当時は携帯電話なんてなく、家の電話。何度も話すシミレーションはした。家業をされているから、覚悟はしていたが、なんと電話に出たのは彼女。思い出すと、あの時はとても落ち着いて、言葉がすらすら出たような気がする。
確か、「もしよかったら映画に行かない?」「うん、いいよ」だったと思う。少し頭が真っ白になったような、色々考えていたから、いろんなケースを想定していたからなのか、その時、なぜかグループデートを提案してしまった。急に臆病になったのか、調子付いたのか、二人きりになれるものを敢えて、友達も誘ってしまった。また、友達たちも、暇なのかOKを出し、4人で映画を見に行くことになった。友達はそれぞれの1番の親友、だったと思う。だから余計に誘いたくなったのかもしれない。映画が終わる頃には、ぼちぼち夕方が近づき、結局、小さな田舎の港が見える、小さな公園で、お話して解散することになった。それから、次の週か、ちょっとしてから、また電話で誘うことにした。しかし、今日は吹奏楽部のコンクールがあるから…諦めるしかなかったが、何故かストレートに彼女は好きな人がいるのかとか、聞いてしまった。さらに、昔、好意を持っているのではないかと言う男の子の名前を自分から出して聞いてしまった。「そうだよ」の一言。あの時は、それなりに一生懸命で頑張っていた自分だとは思うが、何故か自分が傷ついていることへの慈しみ、悲しみなんかを大切に閉じ込めようとしてたのか。コンクール頑張っての一言すら言ったか記憶がない。それからは、意識して話すことすらなくなり、月日が過ぎた。時々、目は合うが、言葉はでない。卒業式、体育館に集まった時、長い訓示、彼女が隣に並んでいた。もう最後かもしれない。だけど、何も言えなかった。結局、あのたまに見せる、見えた気がしたのか、あの寂しそうな悲しい眼差しの理由(わけ)は、わからないままとなった。当時はアイドル全盛、クラスでも、省吾を知ってた友達は数人かな。(全員に知っているか、聞いたことないが…) 転校生の彼は長渕の大ファン。俺は省吾。それを聞いて、「浜田省吾、知ってるよ。」と、彼女。あの時は驚いたな。彼女のお姉さんも好きで、Promised landのアルバムを持っていた。2年の時は、音楽のちょっとした授業の一貫で、好きな曲、なんでも良いから先生に向けて歌い採点されることがあり、それに省吾の曲を歌っていたらしい。(何故かパーキング・メーターに気をつけろ!)俺は何を歌ったかな。覚えてないや。余談だが、俺には歳の離れた兄がいて、兄から省吾の曲を知った。たまに、70年型ではないが、赤黒ツートンのハッチバックの車の助手席に乗せてもらって聴くのが、とても嬉しく、心地よかった。あのアルバムは特にストーリー性があり、1番のお気に入り。その中でも、この、愛しい人へは、最も自分が相手に気持ちを伝えたい、こういう気持ちなんだよって代弁してくれている。まさに、曲、リズムだけではなく、歌詞そのものが自分の中、波動まで伝わってくる感じがする。と思っている。思いたい。あの頃に戻れたらって曲もあったが、恥ずかし過ぎて、たまらなくなる。まあ、今もそんなに、変わってないかも…
きんどーさん
2024/08/15
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この曲を聴くと2011年のライブの時のアニメ映像を思い出します。当時は大震災から数ヶ月後のライブでしたが、この時から自分にとってこの曲の印象が変わったように思います。戦争と災害は違いますが、逆境や困難から立ち上がるという意味では共通していることもあるのではないかと思います。
歴史から何を学んだのか、大切なことを伝えられているのか、正解を出すことが難しいことに向き合い、考えようとすることも時には大切なのではないかと思います。
世界に目を向ければまだ戦争が続いていますが、今自分達が普段通りに過ごすことができるのはこれまでの歴史があるからだと思います。
この曲は大事なことを思い出させてくれたり、当たり前の日常を見つめ直すきっかけを与えてくれるように感じます。省吾さんが歌うからこそ心に響く楽曲がたくさんありますが、この曲もそのひとつだと思います。
これから先もいろいろなことを考えながら聴いていきたい曲です。
jsf
2024/08/15
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
省吾さんと出会いのナンバーです。カップヌードルのCM、月刊明星か月刊平凡の歌本に当時高1のクラスメイトが「ゴキゲンな曲」って省吾さんのイラスト入りの投稿が掲載されて…45年経っても「ゴキゲンな曲」ですね♪