-
ちょうど
今日!
指折り数えてみる、
と36年前!1988年8月8月
ちょっと前、リアルな記憶みたいに
目?心に焼きついて残っています最果ての地であなたに出会った
きれいな海とお花の咲く地で
一目で恋に落ちた私
皆の案内役のあなたと1日共に過ごし
あなたから目が離せなくなった
翌日
片道400キロかけ帰宅
すぐに同じ場所に週末に出かける準備
次は1人、鉄道を調べても、まだ迷っていた私の背中を押したのは母
えいっ、行こう!
土曜日は半ドン(昔だ〜)だったので土曜日の夜行列車にのり
翌朝着いた
びっくりしたあなた
ひと晩、宿に泊まって
月曜日、早朝の帰宅前に
やっと声をかけ次の行き先が聞けた次は片道200キロ
あなたが夏の終わりまで居た場所に毎週末一泊で会いに行った私
一世一代の恋
なのに、好きと言えなかったあの夏に一緒にドライブして、
免許取ってまだ2ヶ月
標識を見落として怒られたな~エアコンのない車で
カーステレオから流れてきたのは省吾さんの愛の世代の前にのアルバム
省吾さんのようにサングラスをかけ日焼けしたあなたは格好良かったそして、省吾さんにハマりました
スイートピー
2024/08/08
-
元々彼女が浜田さんの大ファンで付き合いだして車で聞いたCDに入ってたミッドナイトブルートレインがむっちゃ気に入りました。今ではファンクラブに自分も入ってライブに行くようになりました。最近では地元だけでなく東京まで遠征してライブを楽しんでます。浜田さんに会える唯一の手段なんで。これからもずーっとファンでいます!
石松豊史
2024/08/08
-
私は73歳で浜田さんの2歳の年上です。 約10年近く寂しい転勤生活で浜田さんのCDを聞きながら家事をしていました。 そんなある日TVから「浜田省吾monochrome rainbow tour」の音声が流れてきて、思わずキッチンからTVにかけよりました。 動く浜田さんを見るのは初めてでしたが、気がつくとファンクラブに入会して幸運なことに全てのコンサートやFFFなどに参加できました。
機械音痴な私がPCなどで動画や画像を探し集めたり全てのCDやDVD、雑誌等を購入し、私の部屋はそれらやポスターやカレンダー、チケットで余白が無いほど埋まっている幸せな空間になっています。
浜田さんの存在している限り私の人生はハッピーエンドになりそうです。 浜田さんの存在に感謝です。 ありがとうございます。
ぢごじゃ
2024/08/08
-
高校2年生の時に友達に誘われて、初めてコンサートに行きました。
大好きになり、おばあちゃんになるこの歳まで、
何度も何度もLiveでSHOGOを観る事が出来て本当に幸せだと思ってます。1番印象に残っているのは、
20歳位の時、地元帯広でのアンコールの時、
今で考えられないけど、
お決まりの様にステージまで激走、
キャーキャー言いながら一緒に歌った事と、
私がもう一曲❣️〜と言うと、
もう一曲?? と答えてくれて、ラストダンスを歌ってくれた事です。
え〜!! 本当ですよ‼️
ミラーボール君、素敵な思い出をありがとう。命ある限り、こらからも、貴方に会いに行きます。
どうぞお元気でいらしてください。
うさぎのゆみこ
2024/08/08
-
当時高校1年生だった私。
同じ学校の数学の先生の事を好きになりました。
先生は独身で10歳上、単身赴任で赴任してきたので住まいは校内にある職員寮でした。
私は夏休みに友達を誘って先生の寮に遊びに行ってましたが、やがて一人でも行くようになりました。
その時いつも浜田省吾さんのSandCastleを聞かせてくれました。
そして翌年3月、先生の転勤が決まり学校にはいなくなると知りました。
そして終業式の日、もう先生と生徒の関係ではなくなるからと、初めて夜のドライブに誘ってくれました。
その時流れていた「片想い」の「その愛しい腕の中で このままそばにいて夜が明けるまでと泣けたなら」というフレーズで涙が溢れました。
もちろん私はまだ未成年だったので、その願いは叶いませんでしたが、今でも切ない思い出です。
Eri
2024/08/08
-
今から40数年前の高校生の私にはひとつ上の大好きな先輩がいました。気持ちは伝えていましたがずっと片思いでした。その先輩の卒業式の間ずっと涙がとまりませんでした。ここまで好きだったのかと自分で自分に驚いた記憶があります。卒業して東京の専門学校に行ってしまい挨拶すらできなくなって辛い日々でした。その後暫くして突然その先輩からの電話。「ひさしぶり。今帰ってきているんだけどよかったら会わない?」次の日初めて外で待ち合わせをしました。何時間かいっしょに過ごした後先輩が
「浜田省吾って知ってる?俺好きな曲があって、丘の上の愛って曲なんだけど…」と言って歌ってくれました。そしてそのあと「俺ずっと東京でこっちには帰ってこないから、待ってなんかいるなよね。」と言われました。その後会うことはありませんでしたが今ではものすごく良い思い出です。
みく
2024/08/08
-
地球上のどこかで堪えることなく起きている争い。テレビで観ているだけで私も多くの人も何も出来ないと諦めて日々を過ごしていると思う。
そんな中私はあと少しで還暦を迎える。
ふと人生の節目に、いつか大切な皆との別れが近くなっていることを感じ始める。
二人の娘はそれぞれ新しい生活を始め、仕事も大きな役目を終え引退した。
親として会社員として一区切り。
これまで苦しいときに助けてくれた妻、そして浜田さんのこの唄。ミュージックビデオで雪の中を一歩一歩進む姿を苦しい時には思い出していた私。
これからも浜田さんに感謝しながら、妻と一緒に次の人生を歩みたい。妻に「ありがとう」の気持ちを伝えながら過ごし悔いのない人生を目指して行きます。
平野晴信
2024/08/08
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
高校生の時発売されたアルバム。
当時のお小遣いでは買えなかったので、4歳上の姉に半分出して貰いました。
夏休み中ずーと聞いてました、思い出の曲。
久しぶりに姉とコンサートに行った時セットリストに入ってたので、当時を想い懐かしく感じましたよ。