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昨年の4月に父親が他界しました。3年ほど、介護してやり尽くしたと思っています。
ひと通りの行事が終わって、ゴールデンウィークに映画館へ渚園の映像を見に行きました。
その時に流れたのが、この曲です。
この曲と出会ったのは、私が学生のころ。その時は、この時が来たら、思いっきり、この曲を歌おうと、冗談で言っていました。でも、実際は、映画館で浜田さんに歌ってもらい、しみじみした記憶があります。
遺品整理をしていた時に、父親の子供の頃の写真が出てきて、それが私の子供の頃と、そっくりで、再び、この曲を思い出しました。
Toshi
2024/08/06
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
あれは、高校3年生の冬でした。まだ省吾さんがロードアンドスカイで独立する前の所属事務所「カレイドスコープ」だった頃に
今で言うところの100%FFFのファンクラブミーティングが日比谷公園の「松本楼」で開催することになり、受験生ではありましたが、どうしても参加したかったので勉強そっちのけで参加しました(笑)
会場に入ると、300人ぐらいだったと記憶していますが(間違ってたらゴメンなさい)圧倒的に女性の方が多くて男性は10数人しかおらず
皆さんの邪魔にならないよう会場の片隅にポツンと1人立ってました。
会が進行し省吾さんが「今、ツアーやってて
みんなから意見を聞いてみたいなぁ〜」って
言うと「ハーイ!ハーイ」と一斉に会場の女性達が手をあげてて、数人の女性が指名され
いろんな発言をしていると、省吾さんが「今度は男性の方にも聞いてみたいな。。」と言ってくれて、直感で「来る!」と思ったら
省吾さんが「じゃ、後ろの皮ジャンの彼」と私を指名してくれました。
私は、大宮市民会館で初めてライブに参加してそのパワフルでエネルギッシュなステージの感動体験を伝えました。そしてリリースされたばかりの「愛の世代の前に」について楽曲「愛の世代の前に」は、どういう意図のもとに作られたのですか?と聞くと省吾さんが「ちょっと長くなるけどいいかい?」と舞い上がってた私は周囲の方々も忘れ「はい。お願いします」と伝え、省吾さんが愛の世代の前にのエピソードを話してくれました。(中略)
会も終わりに近づき、みんなと握手してから閉会することになり、大勢の女性の後ろに並び、私の順番がきて握手をすると、省吾さんから
「今日は、どうもありがとう」と言っていただき私は「1月の武道館も参加しますので、応援しに行きます。頑張ってください。」と伝え私の中で忘れられない1日となりました。