DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)

浜田省吾

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とし

親父が倒れ死を宣告されたのが2017年10月 意識も無くただ死を待つだけでした、翌月楽しみにしてるコンサートが11月11日にニトリ文化ホールでありました、 なんとか親父も頑張ってくれて参加する事ができました、 その時にこのDARKNES IN THE HEARTを聞き 何故か涙が止まらず、あの会場で泣いていたのは自分だけ だったのでしょうか、なんか運命的なコンサートでした。 自分が思春期頃からあまり会話も無くなりお互いに 思いを胸に秘めたまま翌月無くなりました。 あのコンサートは自分にとっては感謝と感動の コンサートでした。 ありがとうございました。

KAGOME

父が癌で亡くなったのは、2008年。 私の誕生日の翌日が命日。 家族が 「あんたの誕生日避けてくれたんやね」 と言ってくれました。 父が生きてた頃、父の知り合いの 私自身面識が無い知らんおっちゃんが、 「お父ちゃんそっくりやなぁ」 とよく言われた。 本当によく言われた。 父を亡くした後、この曲を聴いて 泣いた日々を過ごしました。 何も親孝行も出来なかった。 私達子供を本当に大事にしてくれた。 父親は大変苦労したから、 余計に子供を大切にしてくれた。 時折この曲を聴くと泣けます。

足立区育ち

2020年コロナ渦に亡くなった父。 入院していて最後の4か月は会えなかったのが心残り。 病室で一人寂しかったろう、携帯電話持たせてやればよかった。もう少し話がしたかった。 昨年渚園映画で、この曲を聴いた。 省吾の想いと自分の想いが暗闇の中で重なった。 俺の顔、少年の頃は母似だったが、最近は白髪になり父によく似てきた。 深夜にこの曲を聴くと、元気だった父の口癖「どうだ、仕事はうまくいってるか」 いつも俺のことを心配してくれた父の顔を思い出し、涙が止まらない。

じゅん

僕の両親は共に浜田省吾さんのファンで、それが縁で結婚した夫婦です。父は埼玉生まれ、母は京都の生まれでした。住まいは埼玉でしたので母方の祖父母の家に遊びに行くときは、もちろん新幹線もありましたが車で行くことも多くありました。その車内でよくかかっていたのがこの曲だった記憶があります。夏休みの混雑を避けて、夜の高速道路を走る車窓には数々のトラック、バス、そして窓ガラスに映る自分の顔…。父の顔をバックミラー越しに見ながら、家族のためにと黙々と車を走らせるその表情を頼もしく思ったのを今でも思い出します。そんな私は今年33歳。今度は自分が車を運転することも多くなりました。窓ガラスに映る顔は心なしか父に似てきたような気がします。父と息子。あの頃父は何を考えて生きていたのかな、あの頃父が思い描いていた姿に自分はなれているのかな、家族とはいえ、人のために頑張るってやっぱり大変です。ありがとう、父さん。そんなことを思いながら、つい気がつくとこの曲を聴いている自分がいます。

Toshi

昨年の4月に父親が他界しました。3年ほど、介護してやり尽くしたと思っています。 ひと通りの行事が終わって、ゴールデンウィークに映画館へ渚園の映像を見に行きました。 その時に流れたのが、この曲です。 この曲と出会ったのは、私が学生のころ。その時は、この時が来たら、思いっきり、この曲を歌おうと、冗談で言っていました。でも、実際は、映画館で浜田さんに歌ってもらい、しみじみした記憶があります。 遺品整理をしていた時に、父親の子供の頃の写真が出てきて、それが私の子供の頃と、そっくりで、再び、この曲を思い出しました。