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浜田省吾
子供の頃から大好きな曲。
主にWASTED TEARSに収録されているバージョンをよく聞いていました。
そんでもって今年の100%FANFUNFANで生演奏を聴けた時は、マジで爆上でした!
浜田さんといえばマスタング
2024/10/26
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浜田省吾
30年前30代の私は4人の子育て、自営業、アルツハイマーの義母の介護、家事で自分の事を考える暇は無かった。それでも省吾のライブは夫婦と仲間で行き車では省吾のカセットを聞いてました。
ある日いつものように車で省吾を聞いていた時この曲の 泣いていいのに、泣けばいいのに、がんばらずに…が胸に刺さり涙が止まりませんでした。泣いていいんだと肩の荷が下りたような助けられた瞬間でした。
neko.4
2024/10/24
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浜田省吾
夫婦とか仲間で省吾のライブに行き 車では常に省吾のカセットを4人の子供たちは聞かされて育ちました。それでも素直に育った子供たちも1回はライブに付き合ってくれて恒例の「10代の人〜」の時は4人で手を振って答えてくれてました。
長女が結婚する時に星の指輪のCD貸してって言うので渡していたら 結婚式の手紙を読む時に星の指輪がかかって私は勿論泣いてしまって長女本人も想定内だったと思うけど隣で身長180cmで漁師の私の旦那が号泣…!!涙を拭くハンカチを持ってなかったのを見かねて旦那の妹が慌てて渡してくれました。見たことが無い姿にちょっと引いた私ですが中にはもらい泣きした人もいたようでしばらく話の種になってました。長女の旦那も省吾の曲を聴きながら掃除機をかけてくれたりしててとっても良い子です。
neko.4
2024/10/24
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浜田省吾
彼は広島、私は東京。遠距離恋愛でした。
1979年8月、初めて広島に遊びに行き
彼の車で 防府、秋吉台などドライブに行きました。そんな楽しかった時間も終わり
車を駐車場に停めたとき 外は雨でした。
その時、流れてた音楽は、省吾のアルバムを入れた
カセットテープです。
ちょうど散歩道が、流れていて
彼は、この曲が終わってからね…·と、しばし車の中で
この曲を聞いていました。その時助手席に座っていた私は、
窓ガラスに流れていく 雨のしずくを見つめていまし た。その時の情景は、今も鮮明に覚えています。あれから45年。
今も 散歩道を聞くと あの日の車の窓ガラスを流れていた雨粒を思い出します。
そんな彼とは、その後別れてしまいましたが
省吾を教えてくれた彼のことは、今でも大切な想い出です。
そんな彼はもう、この世にはいなくなってしまいましたが。45年前、彼から送られてきた1本のカセットテープから たくさんのシーンを思い出しますが、
やっぱり一番は、この雨雫…
ともみ
2024/10/24
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浜田省吾
成長したいと思うのに、
自分の未熟な部分に気付くと、
心底がっかりする。誰かに傷つけられたり、
そして、自分が気付かぬうちに、
誰かを傷つけたり。
だけど、それに気付けたら、
その時が変われるチャンスなのかも。瞳が輝けば、魂は晴れて、
まだ見ることは出来ないけど、
未来の扉を開けて、
いろんな意味を見つけられるかも。
顔をあげて、前を向いて、
前に前に進んでいこう。いろんなものさしを
持っていたいと思う。
いろんなものさしで、
その時、その時に合わせたものさし。あなたの詩、音楽は、
私にたくさんの事を教えてくれる。
そして、気付かせてくれる。
だけど、未熟な私は、
まだまだ気付けてない事もたくさん
あるような。
それでも、
毎日、毎日、無限にあなたの音楽が、
私の生活の一部。
欠かせない大事な人。
これからも。
ずっと。
これからも聞き続けます。
いつもありがとうございます。
KAGOME
2024/10/19
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
1989年まで省吾さんのことは知りませんでした。「浜田省吾」の存在を知ったのは、当時好きになった人が周りの人から浜田省吾に似ていると言われていたからです。私は浜田省吾、誰?どんな人?でした。それで雑誌で調べて見ました。写真を見てカッコいい人だなと思いました。
確かにサングラスをしている彼は髪型も同じようで省吾さんに似ていました。
3ヶ月くらい一緒に遊んだでしょうか。その彼が東京を離れ、沖縄に行き就職してから、省吾さんが深く関わってきました。でもまだ、省吾さんの歌は聴いていませんでした。
当時お店のお客さんでアマチュアバンドをしている人から自作自演のカセットテープを貰いました。その中に「もうひとつの土曜日」が入っていました。
私は省吾さんの曲を知りませんから、その人が作った歌と思い、曲もいいし、声もいいと思ったものでした。後に、それが省吾さんの曲と知り、いいのは当たり前!と思うのです。
それが省吾さんとの出会いでした。
その人は今jajaというバンドでプロになりました。
そして私の片思いは続いています。おばあさんになっちゃう!でも、「誰がために鐘は鳴る」のアルバムを初めに、その時から今まで、ずっと省吾さんの歌と一緒でした。
浜田省吾さんを教えてくれた、今も沖縄にいるであろう彼に感謝です。