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内気な性格で人見知り、こんな私でも東京への憧れはあった
高3の春、決めた進路は専門学校、もちろん東京だ
そんな時立ち寄ったCDショップ
流れてきた曲に一瞬で落ちた「4年目の秋」だ
何回も何回も聴いた結果、東京でのイメージだけはついたイメトレのし過ぎなのか
東京での生活は何の華もなく淡々と過ごす日々、まさにリアル「4年目の秋」
家でライブビデオを見て、CDを聴くだけだった私に転機が訪れる、彼女とライブである
恥ずかしがり屋の私は、今までライブに行くなんて考えもしなかった
しかし彼女の後押しもあり、一緒に参加することに
ライブに行ってもノリノリにはなれないけれど
そこには、浜田省吾がいて横には彼女がいる
それだけでとても幸せな時間なのだ
その彼女と結婚し25年たった今も「私と浜田省吾の物語」は続いている
ゆきのこ
2024/08/01
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あれは1983年…私が19歳の頃、専門学校に通っていた時のことです。
秋も深まった頃…同じ専門学校に通う方から突然告白されました。
あまりに突然でびっくりしましたが、私には彼がいる事を告げ、お断りしました。
しかし、ある日その方からカセットテープを渡されました。
「俺の今の気持ちです」
渡されたテープは自分でダビングをした省吾さんの「sand castle」でした。
自宅に帰り、小さなカセットデッキから「片想い」が流れてきました。
「あの人のことなど…もう忘れたいよ…だってこんなに想いを寄せても…遠く叶わぬ恋なら…」
「今の俺の気持ちです。」
もちろんその方とお付き合いすることはなく、その時お付き合いしていた彼と結婚し、今も幸せに過ごしていますが…
省吾さんの「片思い」を聴くと、何故かちょっと誇らしいような…くすぐったいような気持ちになります。
Midori405
2024/08/01
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朝起きたら主人が亡くなっていました。心不全です。主人が愛した息子は高校一年、愛犬は4歳。私はこの子達がいるから生きなくちゃと。それから主人が欲しがっていた黒色の犬も迎え入れました。その子は静かな我が家に笑顔を運んでくれました。あれから13年経ち主人が愛した愛犬は主人の側に行きました。その時の喪失感と主人との繋がりが失くなったような何とも言えない気持ちでした。そんな時にこの歌を聴きました…泣きました。家族で数えきれないほど海に行き主人と居ればなにも怖くないし心配もなくて本当に幸せだったのだから、私は生かされていて精一杯生きなくちゃいけない
って。それから数年後、黒色の愛犬も旅立ちその頃は息子も一人で生きられるほど大人になり…生きる理由がまた見つからなくなりそこで先の先の予定を入れることで生きる理由を作りました。そんな矢先浜田省吾さんのアリーナツアーを知りチケットが当たり3回の公演に行きました。気持ちが少しずつ癒されました。ありがとうございます。
ユキエ
2024/08/01
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浜田省吾さんのコンサートへ初めて行った時のお話です。私達女子3人、19歳の初秋。コンサートの席は後ろの方でした。省吾さんは、人差し指位に見えました。DJ.お願い!では、会場の皆が、指を鳴らしました。そして、バックシート.ラブへと。私はまだ、彼氏もいない娘で、歌詞の意味もあまり分からずに聴いていました。(笑)
鹿児島の天文館のウッドストックに省吾さんは、コンサートが、終わったら仲間と一緒に行かれると、噂で聞いて、私達も、会いに行こう!となりました。ウッドストックへ、3人ドキドキしながら、外階段をかけあがり、扉を開けました。マスターに、省吾さんはいますか?と、尋ねました。マスターは、すまなそうに、いないよ。と。私達3人は、仕方なく帰りました。でも、楽しかっね♫と、話した事何十年たった今でも昨日のように思い出します。
小豆
2024/08/01
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「一度聴いてごらん」と渡されたカセットテープ。
当時、同期の女性から半ば押し売りのように渡されました。
付き合っていた彼女も同期と知り合いだったため二人で聴くうちに「ファン」になっていきました。どこに行くにも浜省の曲でした。
コンサート(当時はこう呼んでいました)ではまだ4〜5人程のバンド構成だったように思います。彼の恋愛観と照らし合わせていたように思います。
2歳年上だった彼女は「結婚」と「恋愛」は別。
大人だな〜、そんな感情を歌詞の中で照らして背伸びをしていたのかも知れません。彼の歌詞の影響は計り知れなくていつも励まされながら現在も歩いています。
「結婚と恋愛」の両方を掴むことのできた僕と彼女は今もライブにはエントリーしています。母子家庭で育った私もソレなりの家族構成ができて未来を願くば永く長く見て行きたい小さな子供達もできました。
残された人生の時間はどれほどあるのかは分かりませんが
少なくともこの「曲」を聴くと当時の情景が鮮明に蘇ります。そんな方が多いことだと思います。
世間では人生の(社会)リタイア時期と言われる頃に差し掛かって来ましたが、あの曲やこの曲のようにまだ人生を愉しみたいと思っています。
妻と「ハンバーガースタンド」で待ち合わせる事はなくなりましたが気持ちはその時のままです。 笑
Ryu
2024/08/01
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当時、私は高校2年生のちの彼女にJ.BOYをカセットテープにダビングしてもらいウォークマンでいつも聞いていた。
広島、福山生まれという事あり、母も戦争体験者から当時の事を想像し未来に繋げた、ウイルス肝炎で入院中の母を見舞う汽車、バス、道すがなイヤーホーンから流れる声が今でも蘇る、暑い夏が甦る。
樋上敦
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
あれは初めて浜田省吾のコンサートに行った日の事 まだチケットも自分で席を選べた時代 15の時誰を誘っても 誰それ?って言われ1人で参加 もう古い公民館で前から4列目の右から2番目の先隣はどんな人かも気にしてたら素敵なお姉さんで 壊される前のステージだったし今みたいに厳しくもなく・席の上に土足で上がり拳を突き上げて省吾のあのレイバンも安いだろう衣装も覚えている そして静かな歌になり 隣のお姉さんが声を掛けて来てくれた この曲知ってる?と 知らないですと言うと これはとても素敵な良い歌だから覚えておくと良いですよって教えてくれた
それから調べたら 片想いだった
夢中になり覚えた最後の歌詞で涙した
そんな恋なんてした事も無いのに、心に染みて あのお姉さんはこんな恋をした方があるんだろうと 思った
名前を聞くこともせずに別れたのを今も悔やんで居る自分が居る
お礼を言いたかった。そしてもっと知らない曲を教えて頂きたかった。
15の時の街中に貼られた省吾のポスターを
友達に頼み綺麗に剥がして今もそのポスターは飾ってある そーっと動かさないとボロボロと履かれてしまう
家族には私が死んだらお経なんて要らない。
ずーっと浜省を流して最後はそのポスターを棺の上に乗せて送ってくれと 家族にも託して居る
最後は凱旋門で終わらせてくれと
あの お姉さんは 今もどこかでコンサートに参加して 居るのかと 毎回思う・